園長だより一覧

理事長だより 9月

 

サコ学長

のような夏ですが、家にいるとやはり本を読む機会が多くなります。その中で教育の見方を考えさせられる本がありました。それは「サコ学長、日本を語る」という一冊です。サコ学長、ウスビ・サコさんは、アフリカのマリ共和国出身、日本で初めてアフリカ系黒人の学長(京都精華大学)になられた方です。このサコさんの自叙伝と日本論が書かれた書籍です。

マリ共和国という日本とは生活も文化も教育も異なる国に育ち、その後世界各地(特にアジア)で学び、異文化を肌で感じてこられた方だからこその日本の教育の視点に「なるほど、そうなのかもしれない」と頷いてしまう点が私には多々ありました。

その頷きが大きかったもののひとつを挙げますと「先生がみんなに同じ内容の授業を与えている場合、その中身は単なる『情報』である。その『情報』を自分のものにするには、自分の力が必要になる」というくだりです。確かに、1と1を足したら2になるよというのは計算方法という情報を教えているにほかなりません。その足し算をどのように使っていくのかを自分のものとして腑に落としていくには、サコ学長は学校以外の遊びや家庭での経験とシンクロさせていく子どものプロセスが必要であると書いています。情報がそのまま育ちではないのですね。目からウロコ的でした。

稚園ではどうでしょうか。例えば折り紙を折る、切り紙をして貼る、そうするとこのようなきれいな模様ができるという制作活動をすることがあります。確かにこれだけでは子どもたちにとり情報といえるものでしょう。幼児期の場合、その情報を自分の力にするために、その後にそれを使ってどれだけワクワクする遊びが待っているか、こんな遊びが展開されて子どもたちが引き付けられるか、それを利用して友だち同士で遊びの幅を広げられるか、そうしたことまでをも願いとしながら行うのが保育本来の姿だと思うのです。

幼稚園ではよく新聞紙を固く棒状に丸めて剣を作ります。子どもたちには作ったものを与えたりもしますが、作り方を教えたりもします。ここまでは情報。けれども男の子はみんな戦いごっこが好きですし、自分だけの剣を持ちたがるもので、「先生、新聞紙ちょうだい」ともらってせっせと自分で丸め始めます。最初からうまくはいきません。ぶかぶかで頼りがいのないものばかりですが、友だちとの楽しい戦いごっこのために、その楽しさを思い描きながら作り続け、ようやく大人が作ったのと見紛うばかりの剣が出来上がります。その剣づくりには、手先の動かし方や力加減などの脳みそへの刺激のほかに自分でも作れたという達成感や満足感、自分の剣で戦いごっこをした時の折れてしまった、破けてしまった等のトラブルへの絶望感(?)の対処だとか、友だちと楽しく戦いごっこをするために学ぶ人間関係構築の礎だったりとかの成長が散りばめられています。よい例かどうかはわかりませんが、そういうことだと思うのです。

興味のある方はぜひ手に取って読んでみて下さい(「サコ学長、日本を語る」朝日新聞出版 1,500円)。学校について、教育について「そうした見方もあるか」と考えるきっかけになる一冊だと思います。

理事長 浅見 斉

 

 

 

 

 

理事長だより 8月

 

先日坂戸幼稚園も夏休みが始まりました。今年は年度当初の臨時休園もありましたので、予定していた日程を少々繰り下げての夏休みスタートです。その夏休みを前にしてのびのびつうしんで保護者様にお届けした理事長だよりとなります。

1学期ありがとうございました

月に始まった臨時休園が4月、5月と続き、各クラス別園庭開放、新入園児同伴保育、ご入園をお祝いする会を行い、そして6月、臨時休園が明けてからの分散当園を経てようやく通常保育を行えるようになり、7月は細々とではありますがプール遊びも行い、すいれん組ではお泊りはできずとも夏の体験保育として秩父にみんなで行くことができた1学期が本日の終業式をもって終えることになります。この間、保護者様には多大なるご理解、ご協力、ご支援をいただき本当にありがたい気持ちでいっぱいになりました。励ましのお言葉も頂戴し感謝の思いに包まれました。本当にありがとうございました。

園日を数えてみれば三十数日、通常通り新学期を迎えていれば三ヶ月を幼稚園で過ごしている子どもたちですが、まだまだ一ヶ月と少し程度しか経ていません。例年であればようやく幼稚園生活に慣れ始め、自分の居場所を見つけながら新しい友だちの存在を意識し、好きな遊び、好きな友だちに出会う頃なのです。この大切な子どもたちの時間を奪ってしまった新型コロナウィルスに文句を言ってもはじまりませんが、どこにこの気持ちをぶつければいいのかという思いがいまだにぬぐえずにいます。保護者様には焦らずに、ゆっくりと取り戻してまいりますとお伝えしてまいりましたが、どこかにもどかしさも感じ、やり場のない焦燥感を募らしてしまうというのも率直な心持ちでした。

れども、私たちのこのような思いとは裏腹に、子どもたちはその場、その環境を柔軟に感じ取り、そしてこのような状況を自分たちなりに理解してしなやかに遊び、生活し続けてくれました。子どもたちのたくましさを感じずにはいられません。幼稚園にとりましても、教職員にとりましても、園児の存在がいかに私たちを支えてくれているのかとその大きさを改めて思い知るのと同時に子どもたちにも感謝の気持ちで満たされています。

当たり前が当たり前でないことを実感させてくれた1学期でもありました。今後のコロナウィルス第二波、第三波等の動向により幼稚園もどのようになるのか大変不透明ではございますが、どのようになろうとも子どもたちの未来を見据え、「今日一日」を深く、広く見つめ、一緒になってでき得る限りいっぱい遊び、たくさんの経験を通して生活して子どもたちの成長を築いてまいります。1学期間の保護者皆様の温かいまなざしに心より感謝申し上げます。今後とも変わらぬご理解とご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

夏休みを前に

夏休みを前にゆみで保護者様からご家庭での様子をご丁寧に返信していただきまして大変ありがとうございます。そのご返信には臨時休園期間中のお子様のご家庭での様子を記されているものがとても多く、先生方も日々の保育の一助にさせていただいています。

私も拝読させていただきながら、なかなか家の外には出られないお子様と保護者様のやりとりについ笑みがこぼれてしまったり、幼稚園ではそうそうできない体験をお子様に与えていただいているのに感心しきりでした。

うしたあゆみの中でたくさん書かれていたのが、ずっと家の中にいるお子様がなかなか○○を覚えられない、□□ができずに(○○や□□はどちらかというとお勉強や習い事に近いもの)苛立ってしまわれるというものです。閉じこもりっぱなしの生活でお子様も親御様も致し方ないかなとも思いますが、一方で思い当たるのが「親が先生や指導者になるのは難しい」ということです。

私の家庭でも同じでした。とは言いましてもうちの場合は美智子先生にその役割を負わせっぱなしで私自身はまったく担いませんでした。今は申し訳なく猛省しています。娘たちの勉強にあまり手がかからくなってから、美智子先生も私も特に娘が取り組んでいたフィギュアスケートではほとんど助言とかスケーティングで親なりに気が付いたことさえも言わなくなりました。もちろんフィギュアスケートに関しては私たち親は素人ですし、技術的なこともさっぱり、ジャンプの種類でさえ分かりませんでしたので当然といえば当然で、「楽しかった?」とか「残念だったね」とか「素敵だったよ」とか、一ファンのような関わり方になりました。メンタルなことも含め「コーチはコーチに任せる」という気持ちが大きかったと思います。

中には、ステージママよろしくリンクサイドでしきりにアドバイスしていた親御さんもお見受けしましたが、そうしたお子さんほど早々にリンクから去っていたという印象があります。親御さんからのアドバイスはどうしても「ここがおかしい」「こうしたほうがいい」という指導になりがちで、やはり肉親からのこのようなお小言はやる気を削ぐのではと思うに至りました。こうした評価に繋がる言葉に子どもは敏感です。これは幼児とて同じでしょう。

休み、少々長いお休みになりますが、「これしなさい」「あれやった?」ばかりではなく、その時は少し手を止めて一緒になってお子様と「やってみよう」と楽しむくらいのつもりで丁度よいのではないかと思います。外出や遠出に行くことが難しいこの夏休み、その中にありましても子どもたちが豊かな経験を積んでくれることを期待しています。どうぞ新型コロナウィルスに十分ご注意いただきながら楽しい夏休みをお過ごし下さい。

理事長 浅見 斉

理事長だより 7月

 

久しぶりの「理事長だより」更新です。新型コロナウィルスの影響で6月はのびのびつうしんを2回発行することとなりました。そのうちの2回目の理事長だよりをアップします。東京都も埼玉県も感染者数が急増し、第2波が本当に心配になってしまいますが、通常保育が始まった子どもたちは大人の心配をよそに、園庭で教室で笑顔を振りまき遊び、生活してくれている子どもたちに心の底からありがたく思います。今回の理事長だより、少し辛辣なことをお伝えしている部分(傘さし登下校)もありますがお許し下さい。

これからの子どもたち

梅雨寒の言葉どおり一枚薄手の上着を羽織って丁度よいという日もあれば、この時期特有の湿気が肌を覆う日もあり、体調の管理が難しい季節です。

様々な自粛が緩和され始め、幼稚園も一斉登園が始まり、園内は子どもたちの歓声、笑顔、時には親御様恋しさの泣き声がこだまして、それはそれはにぎやかです。でも、考えてみれば、分散登園から始まった6月の保育、特に年少組は数えてみれば2週間と少しの日数しか登園してきていないのですよね。例年であれば4月中の子どもたちなのです。6月だから、2ヶ月経っているのだからと錯覚してしまいそうですが、まだまだ自分を表出し始めている頃なのです。

これからさらに幼稚園生活に慣れてくるにしたがい、集団生活という中で自分の意のままにできないもどかしさを感じ、友だちとの衝突が増えてくるのもこれからです。そのような子どもたちとの生活をしていくに当たり、保護者様にお読みいただきたいおたよりを今回はお届けしたいと思います。平成29年のびのびつうしん7月号の園長がお伝えしているものです。『思いやる心を育てるために』

(前略)新年度が始まり2ヶ月半が経ち、新しい生活、新しいクラスや友だちにも慣れ、子どもたちが大きく動き出しています。それは、興味のあることへの挑戦だったり、人との関わりであったりと様々です。毎年のように6月から7月にかけてはケンカや衝突といったトラブルが続発するのも、子どもたちが外へ外へと気持ちや行動を広げている証拠です。

集団生活の中では、自分とは違った考えや意見、価値観や性格を持つ人と出会い、共に生活するわけですから、当然、衝突やトラブルが起きてきます。親の立場からすると、やはり心配、悩みの種、やってもやられても気になります。「お友だちとは仲よくね。ケンカをしてはダメよ」と、日頃ご両親に言われて育ってきた子どもたちですが、子どもの立場からすると、これは立派な自己主張、自我の表れですのでやめるわけにはいきません。

しかし、だからと言って何でもOKでも、奨励するものでもありません。相手への伝え方(言葉)や行為にもルールがあるはずです。そのルールは何でしょうか?改めて考えてみる必要がありそうです。私自身は、人として許されないこと、明らかに危険であることを置いています。人として許されないことの中には、理由なく一方的、複数で単独に向かう、フェアでない等、様々ありますが、相手の存在をリスペクトしないということもそのひとつです。

子どもたちはまだまだ「自己」中心的な価値観の中にあり、また他者に自分の「主張」を正しくスムーズに届ける術を知りません。だからこそ、どうしてその行為に及んだのかという「理由(気持ち)」をしっかり聞き、受け止め、更に相手の立場に立ち物事を考えられるように導き、善悪を考えたり、「主張(気持ち)」を正しく伝える術を知らせ学ばせていくことが大切ですし、そのことには幼ければ幼いほど繰り返しの経験とその時間が必要です。経験を取り上げるのではなく、様々な経験の中から自分の痛みと相手の痛みを感じ考え、本物の思いやる心を育てて欲しいと願っています。

全ては、心を動かせるかということにつながると私は思います。人は人との関わり、集団の中で生きているのですから。

傘さし登下校

耳(目?)を疑いました。ご批判覚悟で書きます。小学校で登下校の際に熱中症予防のため「傘さし登下校」を認めるというものです。新型コロナウィルス感染拡大防止対策として社会的距離確保と暑熱対策(傘をさしている時はマスクを外してもよい)を図るために各地(坂戸市も)で生徒にお知らせされました。

『文部科学省「学校における新型コロナウィルス感染症に関する衛生管理マニュアル」を受け』と書いてありますから、きっと教育委員会では慎重に協議されたうえでの通達なのでしょう。それでも、言い出しっぺが誰なのかは定かではありませんが、どこか“ノリ”を感じてしまうのは私だけでしょうか。

「マスクしてこの暑さじゃ子ども、やってらんないわよねぇ」「そうそう。日傘さしていければいいのに」「あ、それいいじゃん。傘がぶつからなければ距離も取れるし。距離が取れればマスクも外しちゃっていいんじゃない」「熱中症も防げるし、距離も取れるし、一石二鳥ね」「決まり!」まさかこのようなやりとりであるはずがなかろうことは百も承知していますが、どこか「9月入学」の喧騒に近いものを見てしまうのです。

このようなことを私が言うのはおこがましい気がいたしますが「ちょっと違うんじゃないかな」「本質はそこじゃないだろう」と。

小学校教育現場でも新型コロナウィルス対応の多大なご苦労があろうことは拝察いたします。けれどもこの傘さし登下校については(9月入学もですけれども)「本当にこれでいいのか」と立ち止まって考えていただきたかったというのが本心です。

一介の幼稚園理事長風情が何を知った風なことを言ってる!はい、私はバリバリ昭和生まれの頭の固い人間です。付いていけません。

理事長(さっかーせんせい)浅見 斉

理事長だより2月

 

3学期もどうぞよろしくお願いいたします

今年の冬は暖冬と言われていますが、それでも朝起きると気がき締まるような空気が身を包みます。そのような1月の園庭で陰陽を巧みに見分けながら羽根つきや竹馬等のお正月遊びを繰り広げ、凧あげやおもちつきという季節感あふれる行事を楽しみながら過ごしてきました。このような3学期を迎えて早1ヶ月、大変遅い年頭のご挨拶になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

子どもたちにも保育者にもとても短く感じられる期末ですが、それは入園と進級から10ヶ月が経ち、子どもたちもその分「心」「体」「知」を大いに伸ばし、打てば響くと言っては大袈裟ですが、保育者の伝えたいこと、理解してほしいことをすぐさま吸収し自分の行動に反映させるレスポンスが短くなり、楽しさを感じる強度も高く、広くなっていることと無関係ではなさそうです。

 

その分、信頼し合える仲間とゆったりとした雰囲気の中で生活し、自分の好きなことや興味のある事柄にじっくりと取り組んでいける学期でもあります。友だちとの関わりを深め、刺激を受け合いながら進学や進級に向けての期待感とともにひとりひとりが新しい目標を持ち過ごしていけるよう応援してまいります。

 

さて、3学期始業式の日、この半日保育日の午後は毎年西入間地区私立幼稚園協会の教職員保育実践研究協議会という研修会に先生方が参加します。私は運営方なので、その準備があるため幼稚園を早く出なければならず、そのため朝からジャケットにネクタイ、帽子もハンチング帽をかぶって出勤しました。すると年中組のYちゃんがスキップで寄ってきて「さっかーせんせい、名探偵みたい!」と言ったなり駆け去っていきました。なるほど、確かにそう言われてみれば今日の服装は探偵みたいだな、けれども「名」ではないかなと少し照れながらその子の感性に感心してしまいました。

 

絵本の部屋の由里子先生からは3学期始まって間もない頃の子どもとのエピソードを聞きました。絵本の部屋で子どもと談笑していると、ある年中組の女の子が突然「先生はずっと絵本の部屋の先生でいるの?私が年長組になったらいなくなっちゃわない?」と悲し気に尋ねたそうです。聞けば前任の先生が退職されしばらく絵本の部屋がオープンしなかったことが原因であるらしいのです。子どもながらに絵本の部屋を楽しみにし、由里子先生に睦ましさを感じ始めているこの子の、これは感“受”性に胸が打たれました。

 

子どもたちはたった「数年の記憶」の中で生きています。我々大人からすると圧倒的に少ないその記憶を総動員して自分の口から言葉を紡ぎだします。だからこそその言葉の紡績は私たち大人の心を打ち、記憶に留めさせ、その言葉の出処である感性、発想、意外性に驚くのです。子どもたちが経るこの「数年の記憶」は、とても濃く、厚みのあるものなのかもしれません。豊かな記憶を子どもたちに届けるためにも、私たち大人の在り方、接し方が問われているようでならない3学期初月です。

世代間連鎖

ある新聞記事で、米国で始まった「親子相互交流療法(PCIT)」と呼ばれる心理療法を導入している医師のお話が書かれていました。言うことを聞かないなど行動に問題を抱える子どもとの関係づくりや、虐待を繰り返す親の再発防止に効果があると書かれています。そして、これは親子二人での遊びを通じたプログラムで、その遊びの中で子どもに遊びの主導権を握らせ、自尊心を高めるのが狙いで、親子間の肯定的な感情を増やし絆を強めた後、子どもの問題行動を減らすため親は適切な指示の出し方を学ぶものだそうです。

 

どうして親だけでなく親子でのプログラムなのかと言うと、近年の虐待件数の増加の要因として、虐待を受けた親が子を虐待する世代間連鎖が起きているとの指摘もあるからだそうです。

 

ところで、2月に坂戸幼稚園では「園内子育てセミナー」を開催します。外部から講師の先生をお呼びしてお話してもらうのですが、今回開催するに当たり在園保護者様(PT役員様)にどのようなテーマでお話をしてもらいたいかアンケートを取りました。そうしたところ、「叱る」「叱り方」にまつわるお話をしてもらいたいという答えがとても多かったので少しびっくりしています。

 

お子さんが言うことを聞かない、何回言っても繰り返し、「もぉ!」というお悩みがひしひしと伝わってきて胸が痛みました。「叱る」ことについて聞いてみたいという願いに共感もしました。私は叱ってもいいと思っています。理由を添えて・・・なんて時と場合によっては思っていません。会津の「什の掟」ではないですけれども「ならぬものはならぬ」とたしなめたり叱ったりすることもあるでしょう。

 

ただ、それが何のため、誰のためかを叱る時に一度息をのみ込んで言葉にすることは大切だと思います。お子さんの成長のためなのかそれとも親の欲求を満たすためなのか、周囲の方に迷惑がかかるからなのかそれとも親が周りの目を気にするからなのか、等です。子どもたちは大人、先生や親の言うことを見透かす能力を持っています。

 

子どもだからと言ってあなどってはいけませんよ。そうして見透かした子どもは、見透かしたように育つのですね。そして見透かした子が親となり、また見透かされていく。まさに世代間連鎖です。

 

でも、連鎖ですから断ち切ることだって可能なはずです。「これが絶対」という有効な手立てというものはないのでしょうが、私なりに考えますとやはり「褒めて」「認めて」あげるということに行きつきます。ちょっとした瞬間の可愛さを言葉にしてささやいてあげる、何気なく上手に出来たことを耳元で認めてあげる、ほんの少しのお手伝いに「助かったわぁ」とお子さんの顔を見て笑顔で答えてあげる、こうした子どもへのまなざしという親の想いを鎖に打ち込み亀裂をきたさせていくこと以外に思いつきません。そして、そうした些細なことを見つけられるのは親でなければできません。

 

一朝一夕には子どもは育ちません。少しずつの繰り返しなのではないでしょうか。硬い鎖も一息には切れません。鋸を引いては一息つき、また引いていくものなのです。

 

このおたより、あいだみつをさんのこの言葉が頭の中を行ったり来たりしながら書いていました。「育てたように子は育つ」

理事長 浅見 斉

※SKPレターをのびのびつうしん用に改稿しました。

理事長だより1月

 

あー、またまたうっかりしてしまいました。ここから2連チャンで理事長だよりです。

2学期、ありがとうございました

9月、まだまだ半袖なかにはタンクトップ姿で遊んでいた子どもたちが、気持ちのよい秋の季節を過ごし、あっという間に長袖体操着で生活する12月になりました。その2学期が本日終了いたします。たくさんの行事がありましたね。運動会、のびのびフェスティバル、お店屋さんごっこ、そしてクリスマス会。子どもたちはその行事を楽しみにしながら生活してきましたが、私たち保育者は一つひとつ行事に向けての日々に子どもたちへの育ちの願いを、機を織るように織り込みながら坂戸幼稚園らしく迎えてまいりました。

 

そして2学期のこれら行事の折々で、また日々の生活の中で感じる子どもの「成長」には様々な側面がありました。「成長」という言葉からは厚い上着を一枚ずつ脱いで、軽やかに心を解放させていくイメージがありますが、実はそれだけではありません。

 

例えば・・・友だちとケンカするようになったことも成長。言い訳をしたり、ウソをつくようになったことも成長。相手によって態度を使い分けるようになったのも成長。ある物事に対しての苦手意識が増して感じられるのも成長。etc…。保護者様はきっと「ええっ、そんな成長欲しくない」と思われるかと思いますが、そうした姿も心の育ちとともに生まれるものだからです。忘れてしまったことの方が多いですが、私も、きっと皆様も、そうした過程を経て大人になったのだと思います。

 

園長が常々お伝えしてきています通り、子どもの成長は過程(プロセス)にこそあり、そのプロセスとして見守らなければならないこともあります。一方、大人として正さなければならない、見過ごすことはできないこともあります。どちらか一方だけ、あるいはどちらかに偏り過ぎてしまってはいけないのですね。「先生、その塩梅が難しいのですけれども…」その通りです。それは一人ひとりの子どもがそれぞれに違うのですから塩梅などと片付けられないからです。料理のレシピのように決まった分量を入れればおいしく出来上がるというようなことはないからです。2学期は、幼稚園でもこうした子どもたちの成長と向き合ってきた、それだけに実り多い学期でもありました。

 

明日からは冬休みとなります。冬休みはご実家に戻られたり、ご親戚に会われる機会も多いことでしょう。どうぞこの時期にしか味わえない事柄をたくさん経験させてあげて下さい。それが3学期に心弾ませて登園する姿にきっと繋がることでしょう。本年中のご理解、ご協力、ご支援に心から感謝申し上げます。ご家族の皆様が健やかで楽しくお過ごしになられますことを心よりお祈り申し上げます。よいお年をお迎え下さい。※今月号はH29年度のびのびつうしん1月号園長だよりをさっかーせんせいが再校正、加筆しお届けしました。

難しいことを

今月号の『木陰の物語』は「難しいことを」というテーマです。実は今回の木陰…はさっかーせんせいが版元にリクエストをして送信してもらい掲載いたしました。大変共感するものでしたから、これはぜひ坂戸幼稚園の保護者様にも読んでいただきたいと思ったからです。

 

中身については20ページ、21ページをお読みいただきたいのですが、世の中、難しいことを避ける風潮が少々多くなっているのを感じます。難しいから楽をすることと本文にもありますように難しいことをやさしくするのとでは違うと思うのです。

 

技術の進歩やAIの登場は、それが本当に必要な人や状況には有難く、まさしく「やさしい」ものではありますが、そこまで楽にしていいの?と、人が進歩どころか退化してしまうのではと懸念してしまうような技術(商品?)もあるような気がしてなりません。

 

それは子育ても一緒です。簡単で楽な子育てというものはないと断言してもよいと思います。これは皆様も感じていらっしゃることと思います。けれども、楽ではないけれども子どもにやさしい子育てはあるはずです。何をどうすればやさしいのか、それがまさに「難しい」ところなのですが、それは各ご家庭で見つけていくほかはないのですね。だってご家庭がそれぞれのように子どももそれぞれだからです。共通解などありえないのですから。

 

さて、本文では「難しいことをやさしく」お伝えしていけるようにこれからも木陰…作りに向き合いたいと団士郎先生はおっしゃっています。さっかーせんせいは難しいことを難しく伝える術さえも持ち合わせていませんが、やさしいテーマをやさしくお伝えできるよう努めてまいりたいと思っています。来年ものびのびつうしんをどうぞよろしくお願いいたします。

理事長 浅見 斉

※『木陰の物語』は、坂戸幼稚園で毎月発刊している「のびのびつうしん」の最終ページに載せているもので、児童相談機関、障碍者三相談機関の心理職25年の団 士郎さんの経験談をイラスト(漫画?)とともにお届けしているものです。

理事長だより12月

 

今月も「のびのびつうしん12月号」からさっかーせんせいだよりです。この時期、子どもたちとのおしゃべりがとても楽しいのです。なんだか「あれ?子どもと話しているんだっけ?」というくらい大人っぽい会話だったり、それでも子どもらしさたっぷりの会話だったり、そうしたおしゃべりが子どもたちの成長を感じさせてくれる季節のお話です。

おしゃべりの季節

庭の木々が葉を徐々に落とし始めました。毎朝、先生方が掃き集めて入れる満杯の赤いごみ袋が増えてきましたが、本番はまだまだ、これからさらに増え続ける日が続きそうです。東京の絵画館前イチョウ並木はだいぶ黄色づいてきたとのニュースがありましたが、幼稚園のイチョウは今年はいつまで踏ん張るのでしょうか。このイチョウが葉を落として初めて本格的な冬到来を告げる坂戸幼稚園の12月です。

 

て、先日行われましたのびのびフェスティバルでは、たくさんの保護者様にご参観いただきまして誠にありがとうございます。お天気のことを心配せずに催すことのできる行事に、私たちも朝から気持ちが高まりました。そして、その高揚とともに長い期間準備に携わっていただいたPTクラス役員様、のびのびフェスティバル担当保護者様に感謝の気持ちを持って応えていこう、それには私たち一人ひとりがこのフェスティバルを盛り上げていくことにあると伝え臨みました。皆様、本当にありがとうございました。

 

そして、保護者様には当日の催しだけでなく、子どもたちの作品もご覧になられたことと思います。特に年長組では、作品作りのための廃材を手にして登園する時の、頭の中に出来上がった作品イメージを出現できるんだという張り切った顔ときたら、それはそれはその顔を見ているこちらまでもワクワクするほどでした。この実りの秋は、子どもたちの作品という実を生むのにも適した季節なのですね。

 

うした多くの実りを肌で感じられるこの季節、子どもたちからは会話という楽しい果実をたくさんいただきます。その中からさっかーせんせいと子どもたちとの言葉のやり取りをいくつかお届けしますね。

 

年少組のどんぐり拾いの時。私「みんなドングリいっぱい拾ったねー」Aちゃん「ママにね、今日はドングリご飯にしてねってお願いしてみようっと」私「おぉ、いいねぇ。それじゃあさっかーせんせいはドングリカレーにしようっと。ドングリおにぎりでもいいかなぁ」Aちゃん「もうっ、さっかーせんせい、ドングリは食べられないでしょ。ドングリ食べるのはリスさんだけでしょ」えっ、ついさっきドングリご飯にしてもらおうって言ってたのに。袋いっぱいのドングリからドングリご飯をおままごとよろしく見立てていたと思ったらもう現実に。この変わり身の早さも年少組さんなのです。

 

Bちゃん「私、今日誕生日なんだ!」私「それはおめでとうっ」Bちゃん「さっかーせんせいは何歳?」私「さっかーせんせいはねえ、56歳!」Bちゃん「すごーい、56回もお誕生ケーキ食べられたんだぁ。いいなあ。私はまだ5回なのにぃ」こんなに楽しく会話のやり取りができても、そうか、まだ5回(実際には4回か3回くらいなのでしょう)しか誕生ケーキで祝ってもらえていない年齢なのだよなと思うと、子どもたちの健やかで豊かな成長を願わずにはいられなくなりました。

 

たわいもないおしゃべりですが、そのおしゃべりから子どもの心の中を垣間見れると思うと、もっともっと話しかけてみたくなります。ゆっくりおしゃべりするのにはちょうど良い季節です。ご家庭でもたまにはテレビを消して、「あのね、この間ね、・・・」からおしゃべり、始めてみて下さいね。

坂戸幼稚園 理事長 浅見 斉(さっかーせんせい)

 

 

さっかーせんせいだより10月

 

さっかーせんせい、一応理事長でもあります。なんかこっ恥ずかしいから「さっかーせんせいだより」にしちゃいました。今月の「のびのびつうしん」からです。

【素敵な運動会でした】

月行われた第71回秋のさわやか運動会では、保護者様、ご祖父母様並びにご家族様にご参観いただき大変ありがとうございました。子どもたちも大好きなお父様やお母様、おじい様やおばあ様からの沢山のご声援と拍手に、心を躍らせ、胸を高まらせて競技、演技していましたね。

 

今回は前日が雨天となり、一日の延期とそれに伴う開始時間の後ろ倒し、プログラムの割愛等、様々な運営へのご理解、ご協力もいただきました。そして、開催後にいただきました「喜びのお声」にも、沢山の喜びの言葉、感動の思い、私たち教職員にまでも励ましのお言葉を頂戴して感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

 

子どもたち、とてもいい表情で運動会を満喫していましたね。初めての場所(校庭)にもかかわらず、むしろそれを受け入れ、楽しんでしまおうという気持ちの弾みが伝わってくるようでした。

 

年少組さん、私ども教職員もそうですが親御様なら皆様入園当初を思い出しながら目を細めてその成長を実感されたことと思います。まだまだあどけなく走り、踊る様子は本当に可愛らしく、できるならばいつまでもその姿のままでいて欲しいと思ってしまうほどでした。

 

年中組さん、クラスごとの競技、演技に心を躍らせる年ごろになり、勝負にもこだわり始めました。自分たちが年少さんだった頃のことなどとうに覚えてなんておらず、年中組としての自分たちをたっぷりと感じているのだろうなという姿をたくさん見ることができました。それがすなわち一年という月日の成長なのでしょう。

 

年長組さん、この運動会を境に小学校への進学を担任は強く意識し始めます。その意識には、子どもたちが真に感じてもらいたい自分との“向き合い”があります。懸命に全力で取り組むこと、仲間や自分を信じてあげること、友だちと協力して成し遂げようとすること等、その中では、成功体験や楽しいことだけではなく落胆や悔しさもあったことでしょう。けれども、そのひとつひとつを実感し、直面しながら子どもたちは成長していくことを目の当たりにさせてくれた年長組の運動会でした。

 

回の運動会で私が思いを強くしたことがあります。それは「比べてはいけない」ということです。子どもは生まれ月が変わるだけでも違いますし、幼稚園という集団生活はあるものの、それぞれ違った子育て感のお父様、お母様、家庭のもとで育ち生活し、DNA(遺伝子だけのせいにするのはどうかとも思いますが)だって異なるわけですから、一人ひとりが違って当たり前、得手不得手があって当然なのです。

 

もちろん、その年齢ごとの発育発達の概観は押さえておかなければなりませんし、それに沿った成長を希求することは先生として欠くことのできない務めです。親御様ならなおさらのことだと思います。しかしながら、前述の通り「あの子が速いのだから、うちの子だって…」「あの子ができるのだから、うちの子はもっと…」と比べ、求めることは無意味と言っては言い過ぎでしょうか。

 

もし比べるのであれば、「前のその子と今のその子と」という観点ではないでしょうか。それこそが、園長が常々お伝え続けている過程の育ちではないかと思うのです。その過程の中で、子どもたちの良いところ、上手くいったところ、頑張ったところをたくさん見つけて、褒めて、自信と自尊感情を高め伸ばしてあげることを子どもたちの前に居る親御様はじめ私たち先生も大事にしなくてはいけないのではないかと思うのです。

 

今回の運動会は、まさにそうした子どもたちの姿、保護者様方のまなざしが感じられた本当に素敵な運動会でした。

【子どもと想像力】

動会後の強い雨の日でした。事務室前のアクリル屋根にバチバチと音を立てて次から次へと当たる雨粒を見上げじっと眺めている子がいました。「よっ、Fくん。どうした?」と尋ねますと、「さっかーせんせい…、これはさ、きっと宇宙人が空からマシンガンを打ってるんだよ」

 

先日の年長組園外保育で、「みんな搾乳はしたの?」と聞きました。するとみんなで「やった、やった!」そうして盛り上がる子どもたちの中でTくんが「牛のおっぱい、なんかすげぇやわらかくて気持ちよかったよなぁ。カブト虫の幼虫みたいだったよぉ」

 

どもたちの想像力とはなんて詩的なのでしょう。大人では考えも及ばないような表現をしてくれ、私たちを「なぁるほど」と何故か納得させてしまうのですよね。

 

ある本によりますと、想像をしたりすることは、例えば雲を見て「雲でおにぎりを作って雪合戦する」というような隠喩も、現実から一歩自分を切り離して、空想の世界に入り、現状を別の観点から説明するというとても高度な脳の発達のなせる業だとあります。

 

そして「ウソ」や「言い訳」も想像力の働きが大いに関係しているともあります。想像力を駆使して、その場にできるだけ矛盾しない範囲で、自分を正当化できる「言い逃れ」を考えるからだそうです。

 

ですから、大人から見ればバレバレの「言い訳」や「ウソ」の一つひとつに目くじらを立てずに、「おぉ、脳みそがちゃんと育ってるな」と私たちもその想像力で感心してあげるくらいがちょうどよいのかもしれませんね。

理事長 浅見 斉

※「パパは脳研究者」池谷裕二著 クレヨンハウス

今月号は理事長だよりです。【のびのびつうしん10月号から】

 

実は(もちろん多くの方がご存知ですが)さっかーせんせいは坂戸幼稚園の理事長でもあるのです(エヘンっ)。と言いましてもトイレの詰まりを直したり、事務のお仕事をしたり、何でも屋さん(笑)です。さて、今月はそのさっかーせんせいのおたよりです。

 

運動会の見方

 

2学期の大きな行事、運動会が行われます。坂戸幼稚園の運動会は、全員揃っての練習からは始まりませんのは保護者皆様ももうご存知のことと思います。子どもたちは9月の保育から、運動会へ向けての遊びの中でゆっくりと運動会を感じていきます。園庭のロープ引っ張りっこ、リレー遊び、飛び降り台からのジャンプチャレンジ、学年混ぜこぜのパラバルーン等々。保護者様からしてみれば「あれ、これで大丈夫なのかな」と不安に思われる時期もあるかもしれませんのは重々承知しています。

 

やり方、ルールを上意下達的に教え、行わせれば保育者としてはとてもやり易いのは想像に難くありません。保護者様のお子様の育ちへの願いを顧みずに言うのであれば、その保育はとても「簡単」なものになりますが、それでは子どもの「気づき」「学び」「気持ち」の萌芽や伸びを期待することは低くなってしまいます。それは「先回り」をして、子どもたちに「答え」を先に渡してしまっているからです。そして、子どもたち自らの気づきや学びを導くには「待つ」ことがどうしても求められます。けれども保育の中でこの「待つ」ことはとても難しいことなのです。子どもが感じようとしている情緒はその時々で一人ひとり異なりますし、その一人だけでなくクラスや学年には集団という大勢も存在しているからです。どこまで「待てば」いいのか、どのように「待てば」いいのか、子どもという「個」を育てながら、子ども“たち”という集団も育てていく、運動会へ向けての保育に限らず、毎日の幼児教育保育で先生方が最も頭を絞ることのひとつなのですね。

 

して運動会は勝負あり、競争あり、成果結果が目に見えて分かりやすいものです。出来るようになったことや勝ったこと、上手くいったことは、大人には喜びであり、子どもには大きな自信となり次の一歩を踏み出すきっかけにもなります。一方、成果結果が目に見えてわかりやすいだけに、私たち大人が気を付けなければならないのは「子ども同士を比べない」ということです。その年齢により発育発達の概観はあるものの「あの子ができるのだからうちの子も・・・」という見方は、言葉にして直接ぶつけることはないにしても、親御様の心情を子どもはとても敏感に感じ取り、心を後ろ向きにしたり、逆にその期待に応えることだけが行動の動機付けになってしまったりします。だからこそ、決して忘れてはならないのが、常々園長が口にしているプロセスの大切さです。一人ひとりの子どもたちが通ってきたプロセスなのです。どんな思いを抱きながら、どんな風にして、今の姿にたどり着いたかを理解し、心から共感し、ほめ称えてあげること、それが側にいる大人の最も大切な役目ですし、子どもの自己肯定感や自己効力感といった自尊感情を育てるのだと思っています。

 

運動会は年間のひとつの行事に他なりませんが、普段の保育と密接につながっている大切な行事、子どもたちを大きく育てる、保育者も深く考えながら取り組む行事なのです。親御様にはお子様の一挙手一投足に一喜一憂、ご家族でその姿を楽しみにする行事ですが、こうした見方も頭の片隅に少し残していただきながら応援していただければ嬉しく思います。今年こそは青空の下で「秋空に笑顔の花を咲かせられる」運動会になりますように!

もうひとつ運動会

月のあそカレの日が、市内小学校の運動会と日程が重なってしまっていたため急遽中止としました。けれども先生方の勤怠の関係で出勤であったこの日、せっかく出勤しているのだから「小学校の運動会で卒業生や来年就学する新一年生のかけっこを応援しに行こう!」と手分けをして各小学校に赴きました。

 

私もいくつかの小学校を急ぎ足ですが巡りました。当日の天気予報で、ほとんどの小学校が徒競走を中止にするか午後のプログラムに移動していました。最も卒業生と目を合わせたり、ガンバレ!と声を掛けてあげられたり、「うわぁ、さっかーせんせいだ!」と喜んでもらえる競技なのでとても残念・・・。肩を落としてしまいました。

 

けれども落ち込んでばかりではいられません。リズムやダンスでは、学年の中に卒業生を見つけると、幾重にも並んで参観されている親御様の最後尾から、隙間を狙って「これでもかっ」というくらい腕を振って猛アピールです。周りの親御様は「この人、なんなん?」と思われたことでしょう。

 

そんなちょっとした隙間から私を偶然にも見つけてくれた子どもたちは色々な表情を見せてくれます。緊張して強張った顔が緩んだり、「どうして居るの?」とびっくりしていたり、照れるように少しはにかんだり、喜色満面で隣の卒業生に教えたり(おーっと今は集中して踊ってぇ)。その一つひとつに在園していた頃やあそカレの時の彼ら、彼女らを思い出して嬉しくなり、腕振りがさらに大きくなってしまうのです。

 

援。本人も気付かず人知れず届ける応援の仕方もあるでしょう。けれども「頑張って!」「応援してるよ!」と、声は届かずともその気持ちを渡すには、とても自分勝手とは承知してはいますが、手を振って、目と目が合ってこそだと思っています。人と人とのコミュニケーションも一緒です。来年はどの小学校の運動会に向かおうかな?行ける限り続けたいと思っています。

理事長 浅見 斉

 

 

 

 

園長だより8月「おしゃべり・・・思考の育ち」「好きなコトを自分のために」

 

おしゃべり・・・思考の育ち

トシトと降る雨といらめっこしながら「まだかなぁ」とつぶやいている子どもたちは、雨が上がると「先生、いい?」と戸外に飛び出していきます。ボール遊びをするにはチョット不都合な園庭も、泥遊びには格好の遊び場となります。ドロケーキを作ったり、水たまりに砂場用の乗り物を走らせたり、水たまりを遊び仲間にして上手に遊びを展開していきます。少し前までは雨が上がると「大変、急いで園庭の水取りをしなくちゃ」と駆け出していた私たちもゆったりと安心しています。それは・・・以前なら靴のまま水たまりに入ってしまったり、夢中になるあまりズボンや上衣を泥だらけにしてしまっていた年少組さんも、本当に上手に遊べるようになってきたからです。

 

「何でもないこと」のように思われるかもしれませんが、これはとても「すごいこと」のひとつです。場の状況や周囲の様子や思いを取り込み、自分なりに思考して、行動を選択できることや、先を見通しながら行動ができること、すべてはこれまでの失敗も含めた経験からの学びと育ちの姿です。

 

先日の公開保育でも、様々な場面でお子様の成長をお感じいただけたことと思います。両日とも沢山のご参観を頂きありがとうございました。

 

て、タイトルにある通り、子どもたちが具体的に「できるようになったこと」だけでなく、子どもたちの内面、思考の育ちを感じるエピソードを記したいと思います。

 

子どもたちが遊んでいる日中に、道の草取りをしていました。そうした時、よく子どもたちは私に話し掛けてくれます。たいていは「園長先生、何してるの?」といった言葉から始まる「おしゃべり」は、見たことや考えたこと、家での出来事や楽しかった経験等、多岐に広がります。

 

砂場付近の草取りをしていた時、年少組のE君がフェンス越しに「はい」と椿の葉を渡してくれました。おそらくは私の掃除の手伝いをと思ってくれたのでしょう。「あっ、椿の葉っぱだね。丈夫でツルツルしているね」と話していますとO君が葉をむしり取り私に渡してくれました。私は「落ちている葉っぱはいいけれど、枝に付いているのを取ってしまうと可哀想」「なんで?」と側にいた年中組のHちゃんが尋ねます。「生きているから」「Hちゃんもエイッて体のどこかを引っぱって取られたら嫌でしょう」と話しました。

 

けれど、ふと思いました。私の手には雑草があり、私は地面から生きている草を抜いていたのです。私は子どもたちに伝えました。「抜いて(取って)いい葉っぱとダメな葉っぱがあるって難しいね」と。その場には年少組の子が3名、年中組の子が2名いて、私の言葉に「うん」と深くうなずいていました。

 

今日の年中組のUちゃんとのおしゃべりです。私がトンネル滑り台下の落ち葉を取っているとUちゃんが言いました。「ねえ園長先生、雨が降るとどうして(地面に)穴が開くの?」穴とはアスレチックの木の隙間から雨水が同じ場所に落ちたために出来たものです。「わぁ、Uちゃん、すてきなことに気付いたね。どうしてだと思う?」と尋ねると「雨が(おんなじ所に)落ちるから」「(雨が)いっぱい降ると穴が大きくなるね」とUちゃんは答えました。

 

どもたちが生活の中で、実に色々なことに気付き思考しているのがおしゃべりから伝わってきます。つい、何かをしている、あるいは活発に活動しているという側面を取り上げがちではありますが、子どもたちのおしゃべりをしたがっている気持ちとつぶやき、声、言葉を拾い上げられる自分でありたいと強く思います。

 

これから始まる夏休み、お子様と過ごす時間とおしゃべりをたくさん楽しんで下さいね。一学期間のご理解とご協力に感謝申し上げます。大変ありがとうございました。

 

好きなコトを自分のために

日、たまたまTVをつけましたら、小学生アスリートが、世界や日本で活躍している一流選手にチャレンジする番組をやっており、私は思わず見入ってしまいました。番組自体は刺激的でもあり面白く、頑張る子どもたちの姿に「すごいなぁ」と素直に驚きもしました。

 

その後夕飯の支度をしながらあれこれと考えているうちに少し心配になってきました。何が?・・・それは来年のオリンピックを前にこうした番組が増えるのだろうなということと幼いお子さんを育てていらっしゃる親御様への影響についてです。

 

番組の中で再三使われていた言葉「○○君(ちゃん)は本当に△△(スポーツ名)が好きで、少しでも時間があれば練習しているのです」「チームでの練習を終えた後、自宅に戻ると宿題と食事をしている時間の他は△△しています」というコメントもありました。

 

中でも私が一番気になったのは、小学校三年生で世界大会にも出場しているサッカー少年を取り上げた時に「○○君は2歳の時からお父さんと二人三脚で頑張ってきました」という言葉でした。確かに・・・そうなのでしょう。親が子に関心を持つこと、親子で目標を持ち頑張ること、大切で素敵なことだと思います。皆様もイチロー選手をはじめ一部の世界(日本)トップレベルのアスリートがそうした家庭環境の下で育ったことはご存知かと思います。

 

その上でやはりどうしても心配になります。それは子どもの生きるベースである家庭がそのスポーツに支配されたり、あるいは親子ともにすべての判断の基軸になりませんようにと思うからです。

 

どもたちは自分の両親が大好きです。大好きな両親が自分を見つめてくれたり、喜んでくれることが嬉しく、「お父さん(お母さん)のために」と一途に頑張ります。幼い頃ほどそうです。親もまた我が子が何かに夢中で取り組んでいたり、努力したり、頑張っている姿を見るのが好きですし、安心します。子心、親心…誰にでも経験があります。

 

私の娘たちが長い期間同じスポーツを続けてきたので分かります。良い時もあれば不調の時もありました。夢中で取り組んでいた時もあれば、心が離れていると感じる時もありました。そして、リンクサイドで様々な親子の関わり方も見てきました。

 

先のTVでコメントされたように、真にその子が「好き」と思っていたらいいなと思います。好きだから「自分のために」行って(続けて)ほしいなと願います。そして親御様には、我が子がどのような心持ちや状態の時も、心穏やかに、ただ一緒に歩いてほしい、ありのままの我が子を受け止め愛してほしいと心から願っています。

 

坂戸幼稚園 浅見美智子

園長だより7月「幼児教育無償化に関するある危機感」「幼児期からのスポーツ特化による危険性」

 

今月号はさっかーせんせい(実は理事長です)がお伝えしてまいります。なので「理事長だより」になりますね。よろしくお願いいたします。

幼児教育無償化に関するある危機感

正子ども・子育て支援法が今年5月の国会で成立し、今年10月から幼児教育・保育の無償化(以下 無償化)を実施することとなりました。消費税10%引き上げによる増収分がその財源になりますので、リーマンショック級の出来事が無い限り消費税増税は実施される見込みです。ですから、直前で大きな経済的事由によりひっくり返ることがあるかもしれないと、地方行政も慎重にならざるを得ず、保護者様への説明も遅れているのが実情です。

 

今回は、この無償化でのある議論について保護者皆様と共有したいと思います。それは、無償化による「小学校教育の前倒し」になるのではという危機感についてです。

 

参議院内閣委員会で「義務教育、小学校1年生を1年前倒しにしたら、少子化に対策に寄与するのではないか」「3歳児から5歳児が無償化されるのであれば、幼児教育・保育の義務教育化という議論があってもいいのではないか」と複数の議員から発言、意見があったとのことです。この「1年前倒し」「義務教育化」に大変な危機感を覚えます。

 

国民の貴重な税金による無償化ですから、幼児教育・保育の質の向上が求められるのは当然のことと思いますし、私どももそれに応えなくてはならないと考えます。そして、質の高い幼児教育は知的な能力に加え、協働性や他者への思いやり、自己調整能力などの非認知的能力の育成に大きな効果をもたらすと多くの研究からも明らかになっており、それはひいては生涯にわたる心身の健康な生活のためにも多大な役割を果たします。だからといって、質の高い幼児教育とは「小学校教育の前倒し」では決してありません。

 

長が常々お伝えしている通り、この時期の子どもは「遊びを中心とした生活、活動」から育ち、「遊びを通して自分を発揮しながら主体的に学びに向かえるようにする」ことが何よりも大切です。このことは、幼稚園、保育園にお勤めの方はもちろんのこと、幼稚園や保育園にお子様を通わせている、通わせたことのある保護者様、昨今では小学校教員、小学校関係者にも認識が深まり、理解も広がっています。にもかかわらず、前出議員の幼児教育への理解もない発言があり、「小学校教育の前倒し」可能性の危機感を募らせてしまうのです。

 

このように、理解が十分に行き届いていない人たちへの、私ども幼児教育者や保育者の「質の高い幼児教育とは」の啓蒙、普及に引き続き努めていくことが、この無償化を有意義に活かせていけるものと考えます。ある新聞記事に『これまで以上に各園が情報発信を強化し「子どもたちの育ちのプロセス」を伝えること』とありました。坂戸幼稚園としても園長の持論である「子どもはプロセス(過程)で育つ」ことを発信し続けてまいります。同紙ではまた『ドキュメンテーションの作成・活用が大切』ともあり、坂戸幼稚園の“あゆみ”はまさに園児一人ひとりのドキュメンテーションになります。ご家庭とその子どもの育ちの共有を続けてまいります。

 

こののびのびつうしんがお手元に届いた後すぐに、無償化についての詳細をおたよりできるものと思います。保護者皆様におかれましてはもうしばらくお待ち下さい。※6月17日 日本教育新聞

幼児期からのスポーツ特化による危険性

FA(公益財団法人日本サッカー協会 以下JFA)では、普及事業としてキッズプロジェクを立ち上げ、その柱のひとつにキッズリーダーの養成事業があります。私もこのキッズリーダー養成のインストラクターとして携わり、今年で16年目を迎えました。

 

JFAの事業ですので、キッズ世代の子どもたちのサッカーを上手にする指導法を学ぶものと考えられがちですが、キッズリーダーは子どもたちが体を動かすことの爽快感を感じたり、運動やスポーツの楽しさ、すばらしさを伝えていく大人すなわちキッズリーダーを養成する事業です。そしてキッズリーダーによって運動やスポーツを好きになった子どもたちが、ひいてはサッカーも好きになってくれればという普及事業なのです。

 

私も16年前にこのJFAのこの考えや方針に共鳴しインストラクターになったのですが、近頃のJFAときたらキッズ世代にまでも育成すなわちサッカーだけでの競技志向を持ち込んできて、少しうんざりしているところではあります。

 

そうした中、私はキッズ委員会にキッズ世代のシーズンスポーツ(季節ごとに違うスポーツに取り組む)を取り入れたらどうか、複数のスポーツや運動を行う(ひとつのスポーツだけでなく様々なスポーツに触れる)機会を増やしてはどうかと提言してまいりました。前述のように競技志向を高めているJFAなのであまりいい顔はしませんが、昨今この考え方を後押ししてくれるような記事やニュースが増えてきてとても嬉しく思っています。

 

ず幼児や小学生期からのあるスポーツの専門性を高めることは健康障害を引き起こす可能性が増加するとのことです。野球ソフトバンクホークスの工藤監督は「小さい内から野球だけをし続けてきた子には肘を痛めている子が多い」と言います。私は野球が苦手ですが、野球で肘を痛めていることって致命的ですよね。だから野球のドラフトでは「サボっている選手を獲れ」という言葉もあるほどだそうです。

 

多くの保護者様には、テニスの錦織圭選手、スケートの羽生結弦選手や野球の松井秀喜選手のように小さい頃からそのスポーツに特化してきたからこそ現在の超一流のアスリートとしての姿があるのではと思われる方もいらっしゃると思いますが、錦織選手は小さい頃はサッカーにも打ち込んでいたそうですし、松井選手は野球と柔道を並行して行っていたそうです。羽生選手はけん玉の腕前は相当らしいとのこと。けん玉はスポーツとはちょっと違いますが、でも体の使い方(リズムをとる、動体視力など)スケートに相通じるものはありそうです。100m走の世界記録保持者のウサイン・ボルト選手も小さい頃はサッカーに励んでいて、走ることを引退後はプロのサッカー選手を目指したというニュースを知っている方も多いと思います。

 

そして、様々なスポーツに触れることはその子の選択肢を増やし、将来的にコンペティションの世界に進んだとしても、他の競技で身に付けた体の動きは良い影響を及ぼします。また、スポーツや運動に親しむ方向だとしても、経験してきた色々なスポーツを楽しめるという幅が広がり、生涯スポーツとして健康で豊かな生活に繋がります。一方、そのスポーツだけを取り組んできた子に見られるものとして、バーンアウト(燃え尽き)してしまう傾向が高いそうです。

 

後に、その子の動機付けも様々だということです。もちろんそのスポーツや競技を上手になりたいからと取り組む子もいれば、友だちが行っているから、体を動かすことが好きだから、例えば喘息を治すため(羽生選手がそうでした)、あるいは教えてくれるコーチが好きだからなんていうのもあるかもしれません。要は誰のモチベーションでそのスポーツに取り組んでいるのかということです。それが大人の期待に応えるものになっていませんかと問いたいのです。「えー、さっかーせんせい、幼児の時に子どもがそれを考えるのは難しいんじゃないですか」との声が聞こえてきそうです。そう、だからこそ沢山の種類の運動やスポーツを身近にしてあげて、子どもが少し大きくなった時に「自分はこれが好き」と選択ができるようにしてあげることが大切ではないかと思います。たとえそれが親の望んでいた種目とは違っても、もしかしたら「やっぱりこっちの方が好き」と方向転換したとしても、スポーツではなく例えばアート系に目が向いてしまったとしても、自分で選択したものですから大切にしてくれると思いますし、「好きこそものの上手なれ」とも言いますものね。

坂戸幼稚園 浅見 斉(さっかーせんせい)

※JFAではキッズ世代をU-6(アンダー6歳)、U-8(アンダー8歳)、U-10(アンダー10歳)の子どもたちとしています。

※のびのびつうしん7月号を若干改稿しました。