理事長だより 9月

 / 園長だより 

サコ学長

のような夏ですが、家にいるとやはり本を読む機会が多くなります。その中で教育の見方を考えさせられる本がありました。それは「サコ学長、日本を語る」という一冊です。サコ学長、ウスビ・サコさんは、アフリカのマリ共和国出身、日本で初めてアフリカ系黒人の学長(京都精華大学)になられた方です。このサコさんの自叙伝と日本論が書かれた書籍です。

マリ共和国という日本とは生活も文化も教育も異なる国に育ち、その後世界各地(特にアジア)で学び、異文化を肌で感じてこられた方だからこその日本の教育の視点に「なるほど、そうなのかもしれない」と頷いてしまう点が私には多々ありました。

その頷きが大きかったもののひとつを挙げますと「先生がみんなに同じ内容の授業を与えている場合、その中身は単なる『情報』である。その『情報』を自分のものにするには、自分の力が必要になる」というくだりです。確かに、1と1を足したら2になるよというのは計算方法という情報を教えているにほかなりません。その足し算をどのように使っていくのかを自分のものとして腑に落としていくには、サコ学長は学校以外の遊びや家庭での経験とシンクロさせていく子どものプロセスが必要であると書いています。情報がそのまま育ちではないのですね。目からウロコ的でした。

稚園ではどうでしょうか。例えば折り紙を折る、切り紙をして貼る、そうするとこのようなきれいな模様ができるという制作活動をすることがあります。確かにこれだけでは子どもたちにとり情報といえるものでしょう。幼児期の場合、その情報を自分の力にするために、その後にそれを使ってどれだけワクワクする遊びが待っているか、こんな遊びが展開されて子どもたちが引き付けられるか、それを利用して友だち同士で遊びの幅を広げられるか、そうしたことまでをも願いとしながら行うのが保育本来の姿だと思うのです。

幼稚園ではよく新聞紙を固く棒状に丸めて剣を作ります。子どもたちには作ったものを与えたりもしますが、作り方を教えたりもします。ここまでは情報。けれども男の子はみんな戦いごっこが好きですし、自分だけの剣を持ちたがるもので、「先生、新聞紙ちょうだい」ともらってせっせと自分で丸め始めます。最初からうまくはいきません。ぶかぶかで頼りがいのないものばかりですが、友だちとの楽しい戦いごっこのために、その楽しさを思い描きながら作り続け、ようやく大人が作ったのと見紛うばかりの剣が出来上がります。その剣づくりには、手先の動かし方や力加減などの脳みそへの刺激のほかに自分でも作れたという達成感や満足感、自分の剣で戦いごっこをした時の折れてしまった、破けてしまった等のトラブルへの絶望感(?)の対処だとか、友だちと楽しく戦いごっこをするために学ぶ人間関係構築の礎だったりとかの成長が散りばめられています。よい例かどうかはわかりませんが、そういうことだと思うのです。

興味のある方はぜひ手に取って読んでみて下さい(「サコ学長、日本を語る」朝日新聞出版 1,500円)。学校について、教育について「そうした見方もあるか」と考えるきっかけになる一冊だと思います。

理事長 浅見 斉