さっかーせんせい日記一覧

チャレンジの基準【SKPレターから】

 

さんはカズこと三浦知良選手のことはご存じのことと思います。なんと齢52歳にしてJ2横浜FCでプレーする現役プレーヤーですね。数々の名プレーと共に得点を決めた後のカズダンスで誰もが知る日本サッカー界の生きるレジェンドです。その顔からは、歳を隠せなくなってしまっているのは同世代の私からしても「やむなし」というところはありますが、ユニホームを脱いだその体はとてもとても50歳を過ぎた人の体ではありません。若い選手のようなあの筋肉は、努力を惜しまないトレーニングの賜物であることは間違いありません。メタボのさっかーせんせいとは大違いです。

 

そうしたカズ選手に負けず劣らない選手が実はいるんです。それが安彦考真(あびこ たかまさ)選手です。何が「負けず劣らず」なのかというと、この安彦選手、Jリーグでプロになったのがなんと40歳!なんですって。高校在学中からアルバイトで貯めたお金でブラジルにサッカーを学びに行き、20歳で日本に戻ってきた後に複数のJリーグのチームの入団テストを受けるもすべて不合格。いくつかの仕事をしながら39歳の時(ということは19年間選手としてボールを蹴っていない!)「人生の後悔を取り戻したい」と一念発起。仕事を投げうち、つてをたよりなんとか受けさせてもらったJ2チームの入団テストで合格を勝ち取りました。

 

J2 Y.S.C.C.横浜所属 安彦考真選手

 

「なーんだ、よくあるオールドルーキーのお話かぁ」いえいえ、安彦選手の「負けず劣らず」話はここからなんです。その合格したJ2チームでの年俸が、驚くなかれ120円!120円ですよ!ということは月額10円!!私はプロの経験はありませんから報酬の仕組みはよく分かりませんが、安彦選手の契約は下限(最低年俸)のないものだったそうです。そのJ2チームでの出場はゼロ。今季はJ3のチームに41歳で移籍し、そこでも年俸120円でプレーしているのです。本人は自身のことを「ゼロ円Jリーガー」と名付けているそうです(笑)。

敵なチャレンジですよね。Never  too  lateを自分の行動で示すことができるって本当に敬服してしまいます。この安彦選手が乙武洋匡氏との対談記事でこのような言葉がありました。『チャレンジした後の失敗談をもっとポジティブに語れる世の中になって欲しい。チャレンジ中はみんなが「頑張れ」と言ってくれる。だけど成功するかは分からなくて、何年かやったけどできませんでしたとなるかもしれない。その時に「チャレンジしなきゃよかった」となるかというと決してそうではない。そこまでの過程で「こうしたプラスがあった」と捉えていいんじゃないか。つまり結果として失敗であっても「やってよかった」と考えられる。チャレンジの基準を「成功できるかどうか」にこだわりすぎだと感じる。成功も失敗もプラスにはなる。それを発信していかなくては。』と。

 

あー、耳が痛いけれども本当にその通りだと思います。過程(プロセス)に光を当てていることが素晴らしいと思いますし、園長先生が常に口にする「子どもの育ちは結果ではない。プロセスそのものに成長がある」に通じてなんだかとても嬉しくなってしまっているさっかーせんせいがいます。

 

安彦選手、今季は4試合に出場していますが、まだ年俸は120円で変わらずだそうです。来季の年俸をぐーんとアップさせるチャレンジになりますね。え、でもちょっと待って、チャレンジは成功するかどうか分からない代物・・・うーんプロの世界はやっぱり厳しいっ。がんばれ安彦選手!

byさっかーせんせい

遺伝子と子育て【SKPレターから】

 

育ては無意味、多くは遺伝子で決まる。と言われて腹を立てない親はいないと思います。「遺伝子で決まるだと!?身体の大きさや運動や芸術の才能はそういう要素が多分にあるかもしれないけれど、“こころ”はどうなの?それこそ生まれてから育てられてきた育ちの姿、子育ての結果ではないの?」と疑問を投げかけられる親御さんが多数だと思います。

 

ある本にこう書かれていて私もびっくりしました。子どもは真っ白な状態で生を受け、その後の育てられ方で徐々に“こころ”と言われる部分を形成していくものだと確信していましたから。そうでなければ、人としての礎を築くために幼児教育を一生懸命に頑張っている全国の幼稚園の存在意義って何?ってことにもなりかねませんし、それどころか、親は何のためにいるの?と究極の「?」にぶつかってしまいます。

 

まれてすぐに別々の家庭に里子に出された双子(一卵性双生児)の兄弟が、39年後の再会まで一度もコンタクトを取っていないにもかかわらず、乗っている車の車種、着ていた服、掛けていためがねのフレームも、妻の名前、子どもの名前、はては犬の名前までもが同じであった。そうした例が大量にあることを知った行動遺伝学の研究者が研究を進めた結果、性格、心や社会的態度に家庭が与える影響は皆無(!)で、家庭環境が子どもに影響を与えるのは、言語と宗教観だけであるとまで言っています。そして、科学の世界では既知の事実であるといいます。さらにびっくり!

 

ただ、「多くは遺伝子で決まる」といっているので、そうではない部分もあると述べています。かいつまんで申しますと、「そうではない部分」というのは「友だち関係」で、思春期を迎えるまでは「友だちの世界」が子どもにとってのすべて、「子どもが親に似ているのは遺伝によるもので、子育てによって子どもに影響を及ぼすことはできない」そして子育ての重要さを説く者は「親が(自分の努力は報われるという)子育て神話を求めているからである」と言い切っています。

 

だち関係、これこそが子どものパーソナリティが作られる土台。子ども、特にヒトの子どもは自立までに相当の期間を要し、だからこそ遺伝子の中に群れや集団から排除されては生きていく術がないという情報が古来から組み込まれているのだとしたら、子どもが“私”という自分を築くのは、友だちとの間でどのような自分でいなければならないのかという要素が大きいのは頷けます。加えてこの著書では、研究者の言葉として、親がもうひとつ子に対して影響を与えられるのは、どのような友だちを与えていけるかということだそうです。

かに、子どもにとって友だちの存在がとても大きいのは、幼稚園での園児同士の生活を見ているとよく分かります。だからと言って、自分の子に良い(と思われる)友だちばかりを言葉は悪いですが「備えて」あげること、よくテレビドラマなどで見受けますが、犯罪者の子だから遊んではいけませんと遠ざけてしまうことが果たしてその子の育ちに良い影響を与えるでしょうか。私の答えは「NO」です。

 

友だち関係がその子を作るのであれば、どのような友だちとも同じように接していける、関係が悪くなった時にはそれを正して(直して)いける、新しい友だちの幅を互いに広げていける、喜びや悲しみを共有できる、そうした友だち関係をその子自身のために作ってあげたいと思います。たとえ神話だとしても私の遺伝子にはそう組み込まれています。

byさっかーせんせい

※「言ってはいけない ~残酷すぎる真実~」 橘 玲著 新潮新書 少々雑学めいた本ではありますが、多くのエビデンスを基に書かれていて、“真実”かもしれません。

大津事故から考える【SKPレターから】

 

大津市で散歩中の保育園児と保育者たちの列に暴走した車が突っ込こんだ事故から約1ヶ月が経過します。大変痛ましい事故で、亡くなられた園児のお子さんには心から哀悼の意を表します。

 

この事故は決して他人ごとではなく、坂戸幼稚園の園児たちにも起こりうるかもしれない事故と言えます。それは、坂戸幼稚園の園児も園外保育に出掛けることもありますし、それと共に先生と歩道を歩いたり、交差点で信号を待ち渡らなければならない機会も多々あるからです。

 

「園の外に出なければいい」確かに園外での活動をしなければ、今回のような事故に会うことはないでしょう。けれども、保育時間の長い保育園や園庭のない保育施設では、散歩や近隣の公園に子どもたちを連れ出さないわけにはまいりませんし、室内だけの保育では子どもの健やかな成長を望むべくもありません。

 

園庭のある坂戸幼稚園ではどうでしょうか。幼稚園の中で、日々体を動かして遊び、園生活を送ることはできますでしょう。しかしながら、地域社会との接点を持ち、地域も子どもの成長や幼稚園生活の大事な環境であると捉えますと、やはり園の中だけでの保育や生活だけでは足りません。

先日も、地区幼稚園協会の観劇会の帰り道を、年長組の園児は坂戸市文化会館から幼稚園まで徒歩で戻ってまいりました。大津市の事故を受け、より安全に歩行できる道順を選び直し、教員間で子どもの命を守りながらどう歩くか、交差点ではどのように待つか等を再確認しながら当日子どもたちと戻ってまいりました。もちろん、子どもたちには出発前に安全な歩行についても伝えました。

 

また、3学期の年長組お別れ遠足では、池袋のサンシャイン水族館まで電車を乗り継ぎ、池袋の街中を歩き行ってまいります。慣れない街中で、それぞれの交差点では私たち担任ではない先生が大急ぎで先回りをして、人や自転車、車の往来を確認し、横断旗をかざしながら子どもたちを渡らせます。池袋という人通りの多い街中ですので少々緊張しますが、子どもたちもそのような状況を理解しながら、それでも会話を弾ませたり、街中での発見をしながら歩いています。

また、大津市の事故を取り扱った新聞記事の中ではこのようなことも書いてありました。ある幼稚園での園外保育時、歩き方やルールなど保育者の指示に従って歩かせたことについての振り返りで『「歩いている時に限らず、保育者の指示に従うばかりになってしまうと、子どもたちが何かに気付いたり、新しいことを発見したり、自ら考えたりしなくなってしまうのでは」という課題が出てきた』と。

 

安全を確保し、命を守るには先生の指示に常に服従させていればその確率は高まるかもしれません。けれどもそこからは、この記事にある通り、子どもたちが自ら考えて行動する主体性の育ちにはつながらないでしょう。これは決して園外保育時だけの話ではなく、通常の保育にも言えることです。

 

地域や社会との接点を考えながら、子どもたちならではの気づきや発見を大切にし、微笑ましい会話ややりとりも味わい、加えて就学してからの徒歩での登校を見据え、安全確保と子どもの主体性発揮の両立を不断に考えていかなければならないと一層思っています。言うは簡単ですが、幼稚園や保育園の保育現場ではなかなか難しい命題であることも事実です。けれども、現代社会の中では取り組み続けなければならない事柄でもあります。

 

皆様のご家庭での子育てでも、これらの両立に頭を悩ませている親御様もいらっしゃると思います。ぜひお聞かせ下さい。そして共に考えていければと思っています。

byさっかーせんせい

ちょっとずつの積み重ね【SKPレターから】

 

月に先生方の健康診断があります。もちろんさっかーせんせいも受診しますが、最近はもう嫌気がさしています。なぜかって、このメタボ体質がどうしても改善しない。生活習慣を少しでも見直せばと思うのですが、この年齢になるとちょっとやそっとでは脂肪くんはバイバイしてくれません。思いきり息を吸ってお腹を引っ込めて腹囲を測ってもらうのはもう飽き飽きです。

 

そこで!脂肪くんとの決別はさっさとあきらめて、硬くなってきた(元々からだは柔らかくない)この体を少しでも柔軟にして、シルバー太りでもこんなにカラダは柔らかいんだぜと自慢できるものを身に付けようと始めたのがストレッチ(まったくの独学)です。

 

目指せお相撲さん(お相撲さんはとっても体が柔らかい)とばかりに意を決して始めたのがちょうどゴールデンウィークの初日。最初は「痛ててて」の連続で、まるで関節や筋にセメントでもくっつけたのかと思うくらい曲がりません(苦)、届きません(悲)、付きません(泣)でした。

ところが、毎日(この原稿を書いている段階で27日目)痛がりながらも続けていると、「おや?」と感じられることが少しずつ出現してきました。届かなかったつま先に指がかかるようになってきた、あんなに遠かった床が目の前に見えてきた、どうがんばってもひねれなかった腰がねじれるようになってきたのを実感できるようになってきたのです。

 

あー、毎日ちょっとずつの積み重ねがこの達成感につながるのだなぁと幸福感に浸っているこの頃ですが、よくよく考えてみると、これは坂戸幼稚園の子どもたちに願っている育ちの姿なのだよなと改めて感じました。

 

えば、坂戸幼稚園で毎日体操活動を行っているのはこのお便りが届いている保護者様なら既にご存知のことと思います。子どもたちはぱっと開いた脚でべたっと床にお腹と頭をくっつけてしまえるほど柔軟性があったり、勢いのある見事な側転をしたり、ブリッジや逆立ちで歩けちゃったり、跳び箱も8段を軽々と跳んでしまったりしますが、最初からそのような姿であるはずがありません。

 

それではどのようにすれば出来るようになるの?残念ながらこの体操活動を全国に広めているコスモスポーツクラブさんとのお約束でお話しすることはできません。けれども間違いなく言えることは、毎日のちょっとずつの繰り返し、積み重ねが子どもたちのこのカラダの成長につながっていることです。

戸幼稚園では「できる、できた」という結果よりも、それまでに子どもたちが感じるたくさんの体験、事柄、出来事というプロセスにこそ成長があり、言い換えれば、体操を指導するのではなく、その体操活動を「通じて」何を育てたいかということになるのではないかと思います。カラダの育ちと同じくらい、子どもたちが少しずつの積み重ねの中で味わう達成感、友だちとの協力や共感という一体感、仲間を応援したり励ましたりする連帯感、毎日行うからこそ感じる明日があるという期待感、体を動かすって気持ちいいという爽快感等、子どもたちにたっぷりと味わい培ってもらいたい心持ちです。

 

皆様のお子様が赤ちゃんだった頃を思い出して下さい。初めてつかまり立ちをした時に、お父様も、お母様も、こんなにも嬉しいものだと満面の笑みでお子様を応援し、見守っていたことと思います。赤ちゃんもそれに応えるかのようによたよたと立ち上がりますが、その可愛いらしい笑顔はいつまでもお父様やお母様の記憶に残るものと思います。このつかまり立ちも、一年近く毎日々々ハイハイを繰り返しようやく出来るようになるのですよね。そのハイハイの毎日を見つめて育ててこられたこそ、その喜びも一入になるのではないでしょうか。

 

少し大きくなられたお子様の今の子育てはどうですか?ついつい目の前の「できた」だけに目がいきがちになっていませんか?大人のモチベーションで子どもを動かしていませんか?結果だけを求めれば、子どもだって結果だけを追う姿に育ってしまいますし、注意や進言してくれる大人がいないところではお腹の中でペロッと舌を出してしまう子になってしまいます。なぜそうするのかという理由を丁寧に伝えていけば子どもだってちゃんと理解してくれるものです。ただ、これも一朝一夕にはまいりません。繰り返し繰り返しの積み重ねです。

 

さーて、今日もストレッチで体を伸ばすぞ。体を柔らかくするためではなく、健康で豊かなこれからの人生のために!

byさっかーせんせい

 

初めての瞬間【SKPレターから】

 

月GW、10連休というめったにないお休みを皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。前半はあまり天気の様子が芳しくなく「あれ?」という感じでしたが、後半はお天気も良く、家族で山にキャンプ、川に水遊び、海辺で潮干狩りなどにお出かけしたり、近くの公園にボールを持って、あるいは自転車の練習でと、遊びに行かれたりした方も多いのではないでしょうか。

 

私はというと家に閉じこもったままの連休でした(苦笑)。けれどもその分、本を沢山読むことができました。前号で齋藤 孝さんの著書「読書する人だけがたどり着ける場所」で紹介されている本を読むチャレンジをします!と宣言して以来、忙しさにかまけて手がつけられないでいましたが、ようやく着手できた次第です。とは言っても、齋藤氏のお勧め本ですから私などには眠気を誘うのに丁度よいくらいの本たちばかりですので、なかなか読み進まないという悲しい現実にぶちあたっていますが・・・。ちなみに今はドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟にチャレンジ中です。これがまた「ふぁぁぁ」とあくびの連続なのですが、本を読むのに才能は必要ないという齋藤氏の言葉を信じて、それでも読破目指してページをめくろうと思っています。

 

て、話は変わりますが、皆さんはお子さんが初めて寝返りを打った時、初めてつかまり立ちをした時、あるいは初めてトイレでしゃがんで用を足せた時等の“瞬間”を見ましたか。ある新聞記事で、保育園に預けられている子どもが多くなってきたことに加え、保育時間・保育生活も長時間化することにともない、その瞬間は家庭よりも園で生まれることの方が多くなっているとあります。何を隠そう、うちの娘たちも両親共働きであったのでその瞬間を家庭保育室で迎えたことも少なくありません。それでも、家庭保育室の先生が口頭や短い記録の中で教えてくれると、それが嬉しくて家に戻ってから大層喜んだり、褒めたりしたのを覚えています。それと同時にその瞬間を、叶わぬ思いですが、見てみたかったなあと思ったのも事実です。

保育園に限らず、幼稚園でもその瞬間があります。周りの子に触発されてお箸セットの箸を初めて使ってみたとか、初めて糊やはさみを使ってみたとか。その時の子どもの戸惑いや喜びを親御様に伝えたい、一緒に喜びを分かち合いたいと願うのは幼稚園の先生とて同じです。

 

ではその瞬間をどのように捕らえるのか。その記事の中にはある写真家の言葉を載せています。「美しい写真のために必要なのは、機材でもテクニックでもなく、見る目と集中力、それからタイミングを待つ忍耐力」そして「今を生きる子どもたちの姿とそれを捉える保育者の内なる対話が瞬間を捉え、伝えるものである」と続きます。

 

戸幼稚園では、幼稚園でのお子様の生活の様子を家庭にお伝えする子どもたち一人ひとりの記録ノート“あゆみ”があります。あゆみを記入していく先生にはまさにその瞬間、育ちの兆しや過程を捉えるアンテナが不可欠です。その意味ではこの写真家の言っていることは間違ってはいません。

 

けれども、私たちが子どもたちに育みたいものは、幼稚園の保育・教育は、その瞬間のためだけにあるのではありません。子どもという個の成長とともにクラスや学年という集団との育ち合いを絶え間ない生活の中で願い、考え、向き合い、保育を行っています。写真家のようにひと処にその時を待ってカメラを構えていられるわけではありません。もし、記録のためにそのような保育が行われているのであればそれは本末転倒になってしまいます。瞬間を伝えるには日々繰り返されるまさに「今を生きる子どもたちの姿とそれを捉える保育者の内なる対話」が必要なのです。

 

SKPのレターとしてはちょっと硬くなってしまいましたね。このレターが届くお子様を育てられているご家庭では、まだまだたくさんの「初めての瞬間」が訪れることでしょう。些細な初めてでもできるだけその瞬間にいてあげられるといいですね。それは間違いなく家庭の、ご家族の幸せな瞬間になるはずですから。

byさっかーせんせい

あそカレ雪あそびに行ってきました!楽しかった!!

 

2/16(土)にあそカレ(坂戸幼稚園卒業生1~6年生の月イチ遊びのプログラムです)で雪遊びに行ってきました。岩原スキー場でゲレンデを借り切って、ただ雪と戯れて遊ぶ。さすがあそカレっ子、雪の上で楽しむってこうやるんだとばかりに、からだいっぱい使って遊んできました!

<ビーチフラッグならぬゲレンデフラッグ。誰が先に旗を取れるか!?雪だから飛び込んでも痛くないもんね。>

<唯一持って行った遊び道具スノーブギーボード。けれどもそんなものは要らねえとばかりにスキーウェアで滑り出す。これがまたよく滑るんだ。>

<6年生にとっては最後のあそカレ。一年間、いや六年間ほんとうによく遊びに来てくれたね。そして低学年の子どもたちをサポートしたり、引っ張って行ってくれたね。心からありがとう!キミたちなら大丈夫!中学生になってもあそカレスピリッツを忘れずに胸を張って進学して下さい。>

ご参観たいへんありがとうございました!

 

本日第70回坂戸幼稚園卒業記念学芸会が坂戸市文化会館で開催されました。ご参観いただきました保護者様、御祖父母様そしてご家族様、学芸会担当のPT保護者様、本日は大変ありがとうございました。前日の雪模様で一時はどうなることかと思いましたが、皆様の願いが通じ、ご集合時は寒さが募っておりましたが、快晴のもと開催することが出来ました。

 

年少組さんは舞台の上にいるだけで可愛いくて頬が緩んでしまいました。年中組さんは初めて自分たちだけで立つ舞台に自信を持っていましたね。そして年長組さんは自分たちの演目に誇りを持ち皆で作り上げる醍醐味を味わってくれたのではないかと思います。

 

ある年長組の女の子がとても緊張した表情をしていたので「いつものとおりやれば大丈夫だよ」と声を掛けました。するとその子が言いました。「いつも通りできるかがわからなくて不安なの・・・」あぁ、私はなんて浅はかなのだろう、その子のその心もちを察してあげられなくて。まだまだな私です。そんな私のガックリをよそに、その子は舞台の上で表情豊かに演じてくれていました。よかった!

 

今日の学芸会をご自宅でたくさんお話して下さいね。いっぱい褒めてあげて下さいね。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 

子どもたちの絵【SKPレターから】

 

『子どもたちの絵』

さんのお子さんはご自宅で絵を描きますか?1~2歳くらいのお子様なら「絵」というよりはグルグルだったりテンテンだったり、なぐり描きに近いようなものではないでしょうか。それが2~3歳くらいになると、「あら、何かを描いているのね」と次第に分かるようになり、それがなんだか人の顔のようではありませんでしたか。そしてその顔から手のようなもの、足のようなものがにょきっと出ていませんか。そして3~4歳くらいになるとしっかりと顔と胴体、手、足が描かれ、ようやく「まぁ、ママを描いてくれたのね」と誰が見てもそれが人だと分かるようなものになったはずです。中には、すでに写実的な絵を描いてしまう子も現れたりします。

 

大人から見れば何を描いているのか分からないお子様の絵でも心配しないで下さいね。こうした絵を描いていく過程はご自身のお子さんだけではなく、実は全世界(日本だけではなく全地球的に)共通のものなのですよ。決していい加減に描いているわけではないのです。

 

前述の顔から足や手が出ている絵を「頭足人」と言います。子どもにより様々な頭足人を描きます。顔と足だけだったり、足(手?)が頭の上から出ていたり、頭足人の初期の絵だと太陽みたいに何本も手や足のような放射線が描かれていたりと本当に様々なのですね。

<坂幼年少組の子の典型的な頭足人の絵です。率直になんかかわいいですよね>

 

ぜ子どもは頭足人を描くのか、なぜ全世界共通なのかを研究している人は数多く諸説あります。「顔に注目しているから説」「頭部と胴の未分化説」「知っているものを描く説」「先天的記憶説」などがあるそうですが、こうした偉大な研究者をさて置いて、僅か30年だけ子どもたちの近くにいる小職な私ではありますが、子どもたちにはヒトはこう見えているから頭足人になってしまうのではないかと思っています。それは記憶と未分化の双方が相まっているからなのではというものです。

 

二足歩行する前の四つ這いの生き物を正面から見た姿(先天的記憶)と胴と足が一体化して見えて(未分化)いるのではないかなと単純に思っています。

<こんな感じに見えてしまっているのではないかなと。だから胴はいらないから描かないんじゃないかな>

 

だまだ答えの見つかっていない分野です。難しく考えるとキリがないですね。難しいことは研究者に任せることとして、私たち子どもに関わっている大人は、子どもたちが描いていく絵が発育発達的に見て誰もが通る道なのだということを知っておくことでしょう。知っていれば、「もう、うちの子はどうしてこんな絵になってしまうのかしら…」「ほら、よく見て描きなさい!」とか目くじらを立てずに見守ることができますものね。他の子と比べなくとも済みますものね。

<坂幼年中組の子の絵です。ほらね、ちゃんと胴体が描かれてきましたよ>

<坂幼年中組3学期ニジイロクワガタの絵。写実的な絵です。聞けば虫が大好きとのこと。色の使い方もお見事!>

 

子どもたちの絵に触れる時、私たちに求められるのは純粋に子どもたちの不思議な想像力や色彩の見事さに感嘆し、共感してあげることなのかなと思います。それだけで子どもたちの筆は進んでいくことでしょう。子どもの想像力は無限です。

byさっかーせんせい

※皆本二三江著「お絵かきの想像力」春秋社

凧が絡む理由【SKPニュースレターから】

 

さっかーせんせい日記では、さっかーせんせいがご家庭に出しているおたよりから載せることがあります。直近のものだったり、アーカイブだったり、不定期ですが気が向いたら読んでみて下さいね。今回はSKPに遊びに来てくれたご家庭にお出ししているニュースレター「よしよしそれでいい大丈夫!」の直近のものです。

 

『凧が絡む理由』

日、園児が凧をあげに近隣の公園(と言いましてもバスに乗って行ってきましたが)に凧あげに行ってきました。幼稚園のクリスマス会でサンタさんからプレゼントされた凧に、銘々好きな絵を描いてきて、そのお気に入りの凧を持って意気揚々とバスに乗り込みます。どの子からも「よーし、高くあげるぞぉ」の意気込みが伝わってきます。

当日はさほど風もなく、凧をあげるには思いきり駆けなければなりませんでした。広い公園とは言え、80名の年長児が長い凧糸を引いて縦横無尽に駆け回るわけですから、凧糸が絡まないわけがありません。あちこちで絡んだ糸をほどくのに苦戦している先生方の姿がありました。

大人から見れば、もっと周りを見て人のいない方に向かって走ればいいのにと思ってしまいますが、凧をあげることに夢中になっている子どもたちにはそれは無理からぬことと言ってよいでしょう。けれども、“夢中”以外にも理由があるのです。

 

れはズバリ、この年代の子は「自己中心」的であるから。

 

自己中心的というと、大人であればジコチューとか言い、ネガティブな性格として取られがちですが、幼児期の自己中心的というのは発育発達上、誰しもが通るものと言っても過言ではないでしょう。

 

えばサッカー。この年代のサッカーの特徴として、みんながボクとボールの関係でボールを追います。本当にジコチューなサッカーです。チームでサッカーをしても自分とボールの関係しかないわけですから、同じチームであろうと仲間のボールを取りに行ってしまうのです。ですから、大勢の人数でボール一個を使いサッカーをすると、みんなが「ボクとボール」「ワタシとボール」になるので、ひとつのボールに集まってしまい、いわゆる“お団子サッカー”という現象が生じるのですね。

こうした幼児期の発達上の特性を知っていれば、お団子サッカーになろうとも、「ほら、お団子になってるとボールに触れないよ!離れて、離れて!」といった余計な口出しをせずに、逆に「よしよし。キミたちはちゃんと育っているな」とあたたかく見守っていられるというものです。

 

も同様です。「オレと凧」の関係性しかないわけですから、他の子がどこにいようと、どこを走っていようとお構いなしに自分の凧をあげようとするので糸が絡まってしまうのです。これも「よしよし」と目を細められますが、先生が糸をほどくのに苦労してしまうのには変わりはないのですがね。

 

とはいえ、いつまでも自己中心的な行動や活動をしていては、それがその子の規範となり大人になってからそれこそ自分のことしか頭にない人物になってしまいます。幼稚園での様々な人(子ども同士、子どもと先生等)との関わりや協働を経験したりすることで、少しずつ少しずつ相手の存在を認め、相手の意見や考えに耳を貸し、受け入れ、自分の思いを伝えていくと同時に周囲と良好な関係を築いていくという成長の礎を自ら育てていくのですね。

 

凧あげで走りに走った子どもたち、「せんせえー、暑い~」「せんせえー、喉かわいた」「せんせえー・・・」「せんせえー・・・」ここでもジコチュー大いに発揮です(笑)

byさっかーせんせい

 

亥年 今日から3学期

 

皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

本日より3学期が始まりました。学年末の学期、次の学年への進級、進学を控え、慌ただしくも子どもたちの成長を一番感じるのもこの学期です。一人ひとりの伸長、課題を見つめ、保育そして成長への願いを持ちながら、一日一日を大切に遊び、生活してまいりたいと思います。今学期もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今日は3学期始業式で半日保育でした。その午後を利用して、西入間私立幼稚園協会の保育実践研究協議会で、先生全員で研修を受けてまいりました。今回の保育実践研究協議会でレポート発表園が坂戸幼稚園だったのです。「愛されて育つ子ども」というテーマで、泰香先生が昨年度担任をしたクラスのことをレポートにまとめ発表いたしました。時間をかけて、頭に汗かいて、丁寧に作成したレポート、「保育者から子どもへ、子どもから子どもたちへ、愛情が連鎖し、互いに育ち合っていく」のレポートの言葉に、指導助言の東京家政大学柿沼先生からもたくさん褒めていただいていましたよ。これからも保育・教育の質の向上に努めてまいります。保護者の皆様、本日は半日保育のご協力大変ありがとうございました。