園長だより一覧

理事長だより2月

 

3学期もどうぞよろしくお願いいたします

今年の冬は暖冬と言われていますが、それでも朝起きると気がき締まるような空気が身を包みます。そのような1月の園庭で陰陽を巧みに見分けながら羽根つきや竹馬等のお正月遊びを繰り広げ、凧あげやおもちつきという季節感あふれる行事を楽しみながら過ごしてきました。このような3学期を迎えて早1ヶ月、大変遅い年頭のご挨拶になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

子どもたちにも保育者にもとても短く感じられる期末ですが、それは入園と進級から10ヶ月が経ち、子どもたちもその分「心」「体」「知」を大いに伸ばし、打てば響くと言っては大袈裟ですが、保育者の伝えたいこと、理解してほしいことをすぐさま吸収し自分の行動に反映させるレスポンスが短くなり、楽しさを感じる強度も高く、広くなっていることと無関係ではなさそうです。

 

その分、信頼し合える仲間とゆったりとした雰囲気の中で生活し、自分の好きなことや興味のある事柄にじっくりと取り組んでいける学期でもあります。友だちとの関わりを深め、刺激を受け合いながら進学や進級に向けての期待感とともにひとりひとりが新しい目標を持ち過ごしていけるよう応援してまいります。

 

さて、3学期始業式の日、この半日保育日の午後は毎年西入間地区私立幼稚園協会の教職員保育実践研究協議会という研修会に先生方が参加します。私は運営方なので、その準備があるため幼稚園を早く出なければならず、そのため朝からジャケットにネクタイ、帽子もハンチング帽をかぶって出勤しました。すると年中組のYちゃんがスキップで寄ってきて「さっかーせんせい、名探偵みたい!」と言ったなり駆け去っていきました。なるほど、確かにそう言われてみれば今日の服装は探偵みたいだな、けれども「名」ではないかなと少し照れながらその子の感性に感心してしまいました。

 

絵本の部屋の由里子先生からは3学期始まって間もない頃の子どもとのエピソードを聞きました。絵本の部屋で子どもと談笑していると、ある年中組の女の子が突然「先生はずっと絵本の部屋の先生でいるの?私が年長組になったらいなくなっちゃわない?」と悲し気に尋ねたそうです。聞けば前任の先生が退職されしばらく絵本の部屋がオープンしなかったことが原因であるらしいのです。子どもながらに絵本の部屋を楽しみにし、由里子先生に睦ましさを感じ始めているこの子の、これは感“受”性に胸が打たれました。

 

子どもたちはたった「数年の記憶」の中で生きています。我々大人からすると圧倒的に少ないその記憶を総動員して自分の口から言葉を紡ぎだします。だからこそその言葉の紡績は私たち大人の心を打ち、記憶に留めさせ、その言葉の出処である感性、発想、意外性に驚くのです。子どもたちが経るこの「数年の記憶」は、とても濃く、厚みのあるものなのかもしれません。豊かな記憶を子どもたちに届けるためにも、私たち大人の在り方、接し方が問われているようでならない3学期初月です。

世代間連鎖

ある新聞記事で、米国で始まった「親子相互交流療法(PCIT)」と呼ばれる心理療法を導入している医師のお話が書かれていました。言うことを聞かないなど行動に問題を抱える子どもとの関係づくりや、虐待を繰り返す親の再発防止に効果があると書かれています。そして、これは親子二人での遊びを通じたプログラムで、その遊びの中で子どもに遊びの主導権を握らせ、自尊心を高めるのが狙いで、親子間の肯定的な感情を増やし絆を強めた後、子どもの問題行動を減らすため親は適切な指示の出し方を学ぶものだそうです。

 

どうして親だけでなく親子でのプログラムなのかと言うと、近年の虐待件数の増加の要因として、虐待を受けた親が子を虐待する世代間連鎖が起きているとの指摘もあるからだそうです。

 

ところで、2月に坂戸幼稚園では「園内子育てセミナー」を開催します。外部から講師の先生をお呼びしてお話してもらうのですが、今回開催するに当たり在園保護者様(PT役員様)にどのようなテーマでお話をしてもらいたいかアンケートを取りました。そうしたところ、「叱る」「叱り方」にまつわるお話をしてもらいたいという答えがとても多かったので少しびっくりしています。

 

お子さんが言うことを聞かない、何回言っても繰り返し、「もぉ!」というお悩みがひしひしと伝わってきて胸が痛みました。「叱る」ことについて聞いてみたいという願いに共感もしました。私は叱ってもいいと思っています。理由を添えて・・・なんて時と場合によっては思っていません。会津の「什の掟」ではないですけれども「ならぬものはならぬ」とたしなめたり叱ったりすることもあるでしょう。

 

ただ、それが何のため、誰のためかを叱る時に一度息をのみ込んで言葉にすることは大切だと思います。お子さんの成長のためなのかそれとも親の欲求を満たすためなのか、周囲の方に迷惑がかかるからなのかそれとも親が周りの目を気にするからなのか、等です。子どもたちは大人、先生や親の言うことを見透かす能力を持っています。

 

子どもだからと言ってあなどってはいけませんよ。そうして見透かした子どもは、見透かしたように育つのですね。そして見透かした子が親となり、また見透かされていく。まさに世代間連鎖です。

 

でも、連鎖ですから断ち切ることだって可能なはずです。「これが絶対」という有効な手立てというものはないのでしょうが、私なりに考えますとやはり「褒めて」「認めて」あげるということに行きつきます。ちょっとした瞬間の可愛さを言葉にしてささやいてあげる、何気なく上手に出来たことを耳元で認めてあげる、ほんの少しのお手伝いに「助かったわぁ」とお子さんの顔を見て笑顔で答えてあげる、こうした子どもへのまなざしという親の想いを鎖に打ち込み亀裂をきたさせていくこと以外に思いつきません。そして、そうした些細なことを見つけられるのは親でなければできません。

 

一朝一夕には子どもは育ちません。少しずつの繰り返しなのではないでしょうか。硬い鎖も一息には切れません。鋸を引いては一息つき、また引いていくものなのです。

 

このおたより、あいだみつをさんのこの言葉が頭の中を行ったり来たりしながら書いていました。「育てたように子は育つ」

理事長 浅見 斉

※SKPレターをのびのびつうしん用に改稿しました。

理事長だより1月

 

あー、またまたうっかりしてしまいました。ここから2連チャンで理事長だよりです。

2学期、ありがとうございました

9月、まだまだ半袖なかにはタンクトップ姿で遊んでいた子どもたちが、気持ちのよい秋の季節を過ごし、あっという間に長袖体操着で生活する12月になりました。その2学期が本日終了いたします。たくさんの行事がありましたね。運動会、のびのびフェスティバル、お店屋さんごっこ、そしてクリスマス会。子どもたちはその行事を楽しみにしながら生活してきましたが、私たち保育者は一つひとつ行事に向けての日々に子どもたちへの育ちの願いを、機を織るように織り込みながら坂戸幼稚園らしく迎えてまいりました。

 

そして2学期のこれら行事の折々で、また日々の生活の中で感じる子どもの「成長」には様々な側面がありました。「成長」という言葉からは厚い上着を一枚ずつ脱いで、軽やかに心を解放させていくイメージがありますが、実はそれだけではありません。

 

例えば・・・友だちとケンカするようになったことも成長。言い訳をしたり、ウソをつくようになったことも成長。相手によって態度を使い分けるようになったのも成長。ある物事に対しての苦手意識が増して感じられるのも成長。etc…。保護者様はきっと「ええっ、そんな成長欲しくない」と思われるかと思いますが、そうした姿も心の育ちとともに生まれるものだからです。忘れてしまったことの方が多いですが、私も、きっと皆様も、そうした過程を経て大人になったのだと思います。

 

園長が常々お伝えしてきています通り、子どもの成長は過程(プロセス)にこそあり、そのプロセスとして見守らなければならないこともあります。一方、大人として正さなければならない、見過ごすことはできないこともあります。どちらか一方だけ、あるいはどちらかに偏り過ぎてしまってはいけないのですね。「先生、その塩梅が難しいのですけれども…」その通りです。それは一人ひとりの子どもがそれぞれに違うのですから塩梅などと片付けられないからです。料理のレシピのように決まった分量を入れればおいしく出来上がるというようなことはないからです。2学期は、幼稚園でもこうした子どもたちの成長と向き合ってきた、それだけに実り多い学期でもありました。

 

明日からは冬休みとなります。冬休みはご実家に戻られたり、ご親戚に会われる機会も多いことでしょう。どうぞこの時期にしか味わえない事柄をたくさん経験させてあげて下さい。それが3学期に心弾ませて登園する姿にきっと繋がることでしょう。本年中のご理解、ご協力、ご支援に心から感謝申し上げます。ご家族の皆様が健やかで楽しくお過ごしになられますことを心よりお祈り申し上げます。よいお年をお迎え下さい。※今月号はH29年度のびのびつうしん1月号園長だよりをさっかーせんせいが再校正、加筆しお届けしました。

難しいことを

今月号の『木陰の物語』は「難しいことを」というテーマです。実は今回の木陰…はさっかーせんせいが版元にリクエストをして送信してもらい掲載いたしました。大変共感するものでしたから、これはぜひ坂戸幼稚園の保護者様にも読んでいただきたいと思ったからです。

 

中身については20ページ、21ページをお読みいただきたいのですが、世の中、難しいことを避ける風潮が少々多くなっているのを感じます。難しいから楽をすることと本文にもありますように難しいことをやさしくするのとでは違うと思うのです。

 

技術の進歩やAIの登場は、それが本当に必要な人や状況には有難く、まさしく「やさしい」ものではありますが、そこまで楽にしていいの?と、人が進歩どころか退化してしまうのではと懸念してしまうような技術(商品?)もあるような気がしてなりません。

 

それは子育ても一緒です。簡単で楽な子育てというものはないと断言してもよいと思います。これは皆様も感じていらっしゃることと思います。けれども、楽ではないけれども子どもにやさしい子育てはあるはずです。何をどうすればやさしいのか、それがまさに「難しい」ところなのですが、それは各ご家庭で見つけていくほかはないのですね。だってご家庭がそれぞれのように子どももそれぞれだからです。共通解などありえないのですから。

 

さて、本文では「難しいことをやさしく」お伝えしていけるようにこれからも木陰…作りに向き合いたいと団士郎先生はおっしゃっています。さっかーせんせいは難しいことを難しく伝える術さえも持ち合わせていませんが、やさしいテーマをやさしくお伝えできるよう努めてまいりたいと思っています。来年ものびのびつうしんをどうぞよろしくお願いいたします。

理事長 浅見 斉

※『木陰の物語』は、坂戸幼稚園で毎月発刊している「のびのびつうしん」の最終ページに載せているもので、児童相談機関、障碍者三相談機関の心理職25年の団 士郎さんの経験談をイラスト(漫画?)とともにお届けしているものです。

理事長だより12月

 

今月も「のびのびつうしん12月号」からさっかーせんせいだよりです。この時期、子どもたちとのおしゃべりがとても楽しいのです。なんだか「あれ?子どもと話しているんだっけ?」というくらい大人っぽい会話だったり、それでも子どもらしさたっぷりの会話だったり、そうしたおしゃべりが子どもたちの成長を感じさせてくれる季節のお話です。

おしゃべりの季節

庭の木々が葉を徐々に落とし始めました。毎朝、先生方が掃き集めて入れる満杯の赤いごみ袋が増えてきましたが、本番はまだまだ、これからさらに増え続ける日が続きそうです。東京の絵画館前イチョウ並木はだいぶ黄色づいてきたとのニュースがありましたが、幼稚園のイチョウは今年はいつまで踏ん張るのでしょうか。このイチョウが葉を落として初めて本格的な冬到来を告げる坂戸幼稚園の12月です。

 

て、先日行われましたのびのびフェスティバルでは、たくさんの保護者様にご参観いただきまして誠にありがとうございます。お天気のことを心配せずに催すことのできる行事に、私たちも朝から気持ちが高まりました。そして、その高揚とともに長い期間準備に携わっていただいたPTクラス役員様、のびのびフェスティバル担当保護者様に感謝の気持ちを持って応えていこう、それには私たち一人ひとりがこのフェスティバルを盛り上げていくことにあると伝え臨みました。皆様、本当にありがとうございました。

 

そして、保護者様には当日の催しだけでなく、子どもたちの作品もご覧になられたことと思います。特に年長組では、作品作りのための廃材を手にして登園する時の、頭の中に出来上がった作品イメージを出現できるんだという張り切った顔ときたら、それはそれはその顔を見ているこちらまでもワクワクするほどでした。この実りの秋は、子どもたちの作品という実を生むのにも適した季節なのですね。

 

うした多くの実りを肌で感じられるこの季節、子どもたちからは会話という楽しい果実をたくさんいただきます。その中からさっかーせんせいと子どもたちとの言葉のやり取りをいくつかお届けしますね。

 

年少組のどんぐり拾いの時。私「みんなドングリいっぱい拾ったねー」Aちゃん「ママにね、今日はドングリご飯にしてねってお願いしてみようっと」私「おぉ、いいねぇ。それじゃあさっかーせんせいはドングリカレーにしようっと。ドングリおにぎりでもいいかなぁ」Aちゃん「もうっ、さっかーせんせい、ドングリは食べられないでしょ。ドングリ食べるのはリスさんだけでしょ」えっ、ついさっきドングリご飯にしてもらおうって言ってたのに。袋いっぱいのドングリからドングリご飯をおままごとよろしく見立てていたと思ったらもう現実に。この変わり身の早さも年少組さんなのです。

 

Bちゃん「私、今日誕生日なんだ!」私「それはおめでとうっ」Bちゃん「さっかーせんせいは何歳?」私「さっかーせんせいはねえ、56歳!」Bちゃん「すごーい、56回もお誕生ケーキ食べられたんだぁ。いいなあ。私はまだ5回なのにぃ」こんなに楽しく会話のやり取りができても、そうか、まだ5回(実際には4回か3回くらいなのでしょう)しか誕生ケーキで祝ってもらえていない年齢なのだよなと思うと、子どもたちの健やかで豊かな成長を願わずにはいられなくなりました。

 

たわいもないおしゃべりですが、そのおしゃべりから子どもの心の中を垣間見れると思うと、もっともっと話しかけてみたくなります。ゆっくりおしゃべりするのにはちょうど良い季節です。ご家庭でもたまにはテレビを消して、「あのね、この間ね、・・・」からおしゃべり、始めてみて下さいね。

坂戸幼稚園 理事長 浅見 斉(さっかーせんせい)

 

 

さっかーせんせいだより10月

 

さっかーせんせい、一応理事長でもあります。なんかこっ恥ずかしいから「さっかーせんせいだより」にしちゃいました。今月の「のびのびつうしん」からです。

【素敵な運動会でした】

月行われた第71回秋のさわやか運動会では、保護者様、ご祖父母様並びにご家族様にご参観いただき大変ありがとうございました。子どもたちも大好きなお父様やお母様、おじい様やおばあ様からの沢山のご声援と拍手に、心を躍らせ、胸を高まらせて競技、演技していましたね。

 

今回は前日が雨天となり、一日の延期とそれに伴う開始時間の後ろ倒し、プログラムの割愛等、様々な運営へのご理解、ご協力もいただきました。そして、開催後にいただきました「喜びのお声」にも、沢山の喜びの言葉、感動の思い、私たち教職員にまでも励ましのお言葉を頂戴して感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

 

子どもたち、とてもいい表情で運動会を満喫していましたね。初めての場所(校庭)にもかかわらず、むしろそれを受け入れ、楽しんでしまおうという気持ちの弾みが伝わってくるようでした。

 

年少組さん、私ども教職員もそうですが親御様なら皆様入園当初を思い出しながら目を細めてその成長を実感されたことと思います。まだまだあどけなく走り、踊る様子は本当に可愛らしく、できるならばいつまでもその姿のままでいて欲しいと思ってしまうほどでした。

 

年中組さん、クラスごとの競技、演技に心を躍らせる年ごろになり、勝負にもこだわり始めました。自分たちが年少さんだった頃のことなどとうに覚えてなんておらず、年中組としての自分たちをたっぷりと感じているのだろうなという姿をたくさん見ることができました。それがすなわち一年という月日の成長なのでしょう。

 

年長組さん、この運動会を境に小学校への進学を担任は強く意識し始めます。その意識には、子どもたちが真に感じてもらいたい自分との“向き合い”があります。懸命に全力で取り組むこと、仲間や自分を信じてあげること、友だちと協力して成し遂げようとすること等、その中では、成功体験や楽しいことだけではなく落胆や悔しさもあったことでしょう。けれども、そのひとつひとつを実感し、直面しながら子どもたちは成長していくことを目の当たりにさせてくれた年長組の運動会でした。

 

回の運動会で私が思いを強くしたことがあります。それは「比べてはいけない」ということです。子どもは生まれ月が変わるだけでも違いますし、幼稚園という集団生活はあるものの、それぞれ違った子育て感のお父様、お母様、家庭のもとで育ち生活し、DNA(遺伝子だけのせいにするのはどうかとも思いますが)だって異なるわけですから、一人ひとりが違って当たり前、得手不得手があって当然なのです。

 

もちろん、その年齢ごとの発育発達の概観は押さえておかなければなりませんし、それに沿った成長を希求することは先生として欠くことのできない務めです。親御様ならなおさらのことだと思います。しかしながら、前述の通り「あの子が速いのだから、うちの子だって…」「あの子ができるのだから、うちの子はもっと…」と比べ、求めることは無意味と言っては言い過ぎでしょうか。

 

もし比べるのであれば、「前のその子と今のその子と」という観点ではないでしょうか。それこそが、園長が常々お伝え続けている過程の育ちではないかと思うのです。その過程の中で、子どもたちの良いところ、上手くいったところ、頑張ったところをたくさん見つけて、褒めて、自信と自尊感情を高め伸ばしてあげることを子どもたちの前に居る親御様はじめ私たち先生も大事にしなくてはいけないのではないかと思うのです。

 

今回の運動会は、まさにそうした子どもたちの姿、保護者様方のまなざしが感じられた本当に素敵な運動会でした。

【子どもと想像力】

動会後の強い雨の日でした。事務室前のアクリル屋根にバチバチと音を立てて次から次へと当たる雨粒を見上げじっと眺めている子がいました。「よっ、Fくん。どうした?」と尋ねますと、「さっかーせんせい…、これはさ、きっと宇宙人が空からマシンガンを打ってるんだよ」

 

先日の年長組園外保育で、「みんな搾乳はしたの?」と聞きました。するとみんなで「やった、やった!」そうして盛り上がる子どもたちの中でTくんが「牛のおっぱい、なんかすげぇやわらかくて気持ちよかったよなぁ。カブト虫の幼虫みたいだったよぉ」

 

どもたちの想像力とはなんて詩的なのでしょう。大人では考えも及ばないような表現をしてくれ、私たちを「なぁるほど」と何故か納得させてしまうのですよね。

 

ある本によりますと、想像をしたりすることは、例えば雲を見て「雲でおにぎりを作って雪合戦する」というような隠喩も、現実から一歩自分を切り離して、空想の世界に入り、現状を別の観点から説明するというとても高度な脳の発達のなせる業だとあります。

 

そして「ウソ」や「言い訳」も想像力の働きが大いに関係しているともあります。想像力を駆使して、その場にできるだけ矛盾しない範囲で、自分を正当化できる「言い逃れ」を考えるからだそうです。

 

ですから、大人から見ればバレバレの「言い訳」や「ウソ」の一つひとつに目くじらを立てずに、「おぉ、脳みそがちゃんと育ってるな」と私たちもその想像力で感心してあげるくらいがちょうどよいのかもしれませんね。

理事長 浅見 斉

※「パパは脳研究者」池谷裕二著 クレヨンハウス

今月号は理事長だよりです。【のびのびつうしん10月号から】

 

実は(もちろん多くの方がご存知ですが)さっかーせんせいは坂戸幼稚園の理事長でもあるのです(エヘンっ)。と言いましてもトイレの詰まりを直したり、事務のお仕事をしたり、何でも屋さん(笑)です。さて、今月はそのさっかーせんせいのおたよりです。

 

運動会の見方

 

2学期の大きな行事、運動会が行われます。坂戸幼稚園の運動会は、全員揃っての練習からは始まりませんのは保護者皆様ももうご存知のことと思います。子どもたちは9月の保育から、運動会へ向けての遊びの中でゆっくりと運動会を感じていきます。園庭のロープ引っ張りっこ、リレー遊び、飛び降り台からのジャンプチャレンジ、学年混ぜこぜのパラバルーン等々。保護者様からしてみれば「あれ、これで大丈夫なのかな」と不安に思われる時期もあるかもしれませんのは重々承知しています。

 

やり方、ルールを上意下達的に教え、行わせれば保育者としてはとてもやり易いのは想像に難くありません。保護者様のお子様の育ちへの願いを顧みずに言うのであれば、その保育はとても「簡単」なものになりますが、それでは子どもの「気づき」「学び」「気持ち」の萌芽や伸びを期待することは低くなってしまいます。それは「先回り」をして、子どもたちに「答え」を先に渡してしまっているからです。そして、子どもたち自らの気づきや学びを導くには「待つ」ことがどうしても求められます。けれども保育の中でこの「待つ」ことはとても難しいことなのです。子どもが感じようとしている情緒はその時々で一人ひとり異なりますし、その一人だけでなくクラスや学年には集団という大勢も存在しているからです。どこまで「待てば」いいのか、どのように「待てば」いいのか、子どもという「個」を育てながら、子ども“たち”という集団も育てていく、運動会へ向けての保育に限らず、毎日の幼児教育保育で先生方が最も頭を絞ることのひとつなのですね。

 

して運動会は勝負あり、競争あり、成果結果が目に見えて分かりやすいものです。出来るようになったことや勝ったこと、上手くいったことは、大人には喜びであり、子どもには大きな自信となり次の一歩を踏み出すきっかけにもなります。一方、成果結果が目に見えてわかりやすいだけに、私たち大人が気を付けなければならないのは「子ども同士を比べない」ということです。その年齢により発育発達の概観はあるものの「あの子ができるのだからうちの子も・・・」という見方は、言葉にして直接ぶつけることはないにしても、親御様の心情を子どもはとても敏感に感じ取り、心を後ろ向きにしたり、逆にその期待に応えることだけが行動の動機付けになってしまったりします。だからこそ、決して忘れてはならないのが、常々園長が口にしているプロセスの大切さです。一人ひとりの子どもたちが通ってきたプロセスなのです。どんな思いを抱きながら、どんな風にして、今の姿にたどり着いたかを理解し、心から共感し、ほめ称えてあげること、それが側にいる大人の最も大切な役目ですし、子どもの自己肯定感や自己効力感といった自尊感情を育てるのだと思っています。

 

運動会は年間のひとつの行事に他なりませんが、普段の保育と密接につながっている大切な行事、子どもたちを大きく育てる、保育者も深く考えながら取り組む行事なのです。親御様にはお子様の一挙手一投足に一喜一憂、ご家族でその姿を楽しみにする行事ですが、こうした見方も頭の片隅に少し残していただきながら応援していただければ嬉しく思います。今年こそは青空の下で「秋空に笑顔の花を咲かせられる」運動会になりますように!

もうひとつ運動会

月のあそカレの日が、市内小学校の運動会と日程が重なってしまっていたため急遽中止としました。けれども先生方の勤怠の関係で出勤であったこの日、せっかく出勤しているのだから「小学校の運動会で卒業生や来年就学する新一年生のかけっこを応援しに行こう!」と手分けをして各小学校に赴きました。

 

私もいくつかの小学校を急ぎ足ですが巡りました。当日の天気予報で、ほとんどの小学校が徒競走を中止にするか午後のプログラムに移動していました。最も卒業生と目を合わせたり、ガンバレ!と声を掛けてあげられたり、「うわぁ、さっかーせんせいだ!」と喜んでもらえる競技なのでとても残念・・・。肩を落としてしまいました。

 

けれども落ち込んでばかりではいられません。リズムやダンスでは、学年の中に卒業生を見つけると、幾重にも並んで参観されている親御様の最後尾から、隙間を狙って「これでもかっ」というくらい腕を振って猛アピールです。周りの親御様は「この人、なんなん?」と思われたことでしょう。

 

そんなちょっとした隙間から私を偶然にも見つけてくれた子どもたちは色々な表情を見せてくれます。緊張して強張った顔が緩んだり、「どうして居るの?」とびっくりしていたり、照れるように少しはにかんだり、喜色満面で隣の卒業生に教えたり(おーっと今は集中して踊ってぇ)。その一つひとつに在園していた頃やあそカレの時の彼ら、彼女らを思い出して嬉しくなり、腕振りがさらに大きくなってしまうのです。

 

援。本人も気付かず人知れず届ける応援の仕方もあるでしょう。けれども「頑張って!」「応援してるよ!」と、声は届かずともその気持ちを渡すには、とても自分勝手とは承知してはいますが、手を振って、目と目が合ってこそだと思っています。人と人とのコミュニケーションも一緒です。来年はどの小学校の運動会に向かおうかな?行ける限り続けたいと思っています。

理事長 浅見 斉

 

 

 

 

園長だより8月「おしゃべり・・・思考の育ち」「好きなコトを自分のために」

 

おしゃべり・・・思考の育ち

トシトと降る雨といらめっこしながら「まだかなぁ」とつぶやいている子どもたちは、雨が上がると「先生、いい?」と戸外に飛び出していきます。ボール遊びをするにはチョット不都合な園庭も、泥遊びには格好の遊び場となります。ドロケーキを作ったり、水たまりに砂場用の乗り物を走らせたり、水たまりを遊び仲間にして上手に遊びを展開していきます。少し前までは雨が上がると「大変、急いで園庭の水取りをしなくちゃ」と駆け出していた私たちもゆったりと安心しています。それは・・・以前なら靴のまま水たまりに入ってしまったり、夢中になるあまりズボンや上衣を泥だらけにしてしまっていた年少組さんも、本当に上手に遊べるようになってきたからです。

 

「何でもないこと」のように思われるかもしれませんが、これはとても「すごいこと」のひとつです。場の状況や周囲の様子や思いを取り込み、自分なりに思考して、行動を選択できることや、先を見通しながら行動ができること、すべてはこれまでの失敗も含めた経験からの学びと育ちの姿です。

 

先日の公開保育でも、様々な場面でお子様の成長をお感じいただけたことと思います。両日とも沢山のご参観を頂きありがとうございました。

 

て、タイトルにある通り、子どもたちが具体的に「できるようになったこと」だけでなく、子どもたちの内面、思考の育ちを感じるエピソードを記したいと思います。

 

子どもたちが遊んでいる日中に、道の草取りをしていました。そうした時、よく子どもたちは私に話し掛けてくれます。たいていは「園長先生、何してるの?」といった言葉から始まる「おしゃべり」は、見たことや考えたこと、家での出来事や楽しかった経験等、多岐に広がります。

 

砂場付近の草取りをしていた時、年少組のE君がフェンス越しに「はい」と椿の葉を渡してくれました。おそらくは私の掃除の手伝いをと思ってくれたのでしょう。「あっ、椿の葉っぱだね。丈夫でツルツルしているね」と話していますとO君が葉をむしり取り私に渡してくれました。私は「落ちている葉っぱはいいけれど、枝に付いているのを取ってしまうと可哀想」「なんで?」と側にいた年中組のHちゃんが尋ねます。「生きているから」「Hちゃんもエイッて体のどこかを引っぱって取られたら嫌でしょう」と話しました。

 

けれど、ふと思いました。私の手には雑草があり、私は地面から生きている草を抜いていたのです。私は子どもたちに伝えました。「抜いて(取って)いい葉っぱとダメな葉っぱがあるって難しいね」と。その場には年少組の子が3名、年中組の子が2名いて、私の言葉に「うん」と深くうなずいていました。

 

今日の年中組のUちゃんとのおしゃべりです。私がトンネル滑り台下の落ち葉を取っているとUちゃんが言いました。「ねえ園長先生、雨が降るとどうして(地面に)穴が開くの?」穴とはアスレチックの木の隙間から雨水が同じ場所に落ちたために出来たものです。「わぁ、Uちゃん、すてきなことに気付いたね。どうしてだと思う?」と尋ねると「雨が(おんなじ所に)落ちるから」「(雨が)いっぱい降ると穴が大きくなるね」とUちゃんは答えました。

 

どもたちが生活の中で、実に色々なことに気付き思考しているのがおしゃべりから伝わってきます。つい、何かをしている、あるいは活発に活動しているという側面を取り上げがちではありますが、子どもたちのおしゃべりをしたがっている気持ちとつぶやき、声、言葉を拾い上げられる自分でありたいと強く思います。

 

これから始まる夏休み、お子様と過ごす時間とおしゃべりをたくさん楽しんで下さいね。一学期間のご理解とご協力に感謝申し上げます。大変ありがとうございました。

 

好きなコトを自分のために

日、たまたまTVをつけましたら、小学生アスリートが、世界や日本で活躍している一流選手にチャレンジする番組をやっており、私は思わず見入ってしまいました。番組自体は刺激的でもあり面白く、頑張る子どもたちの姿に「すごいなぁ」と素直に驚きもしました。

 

その後夕飯の支度をしながらあれこれと考えているうちに少し心配になってきました。何が?・・・それは来年のオリンピックを前にこうした番組が増えるのだろうなということと幼いお子さんを育てていらっしゃる親御様への影響についてです。

 

番組の中で再三使われていた言葉「○○君(ちゃん)は本当に△△(スポーツ名)が好きで、少しでも時間があれば練習しているのです」「チームでの練習を終えた後、自宅に戻ると宿題と食事をしている時間の他は△△しています」というコメントもありました。

 

中でも私が一番気になったのは、小学校三年生で世界大会にも出場しているサッカー少年を取り上げた時に「○○君は2歳の時からお父さんと二人三脚で頑張ってきました」という言葉でした。確かに・・・そうなのでしょう。親が子に関心を持つこと、親子で目標を持ち頑張ること、大切で素敵なことだと思います。皆様もイチロー選手をはじめ一部の世界(日本)トップレベルのアスリートがそうした家庭環境の下で育ったことはご存知かと思います。

 

その上でやはりどうしても心配になります。それは子どもの生きるベースである家庭がそのスポーツに支配されたり、あるいは親子ともにすべての判断の基軸になりませんようにと思うからです。

 

どもたちは自分の両親が大好きです。大好きな両親が自分を見つめてくれたり、喜んでくれることが嬉しく、「お父さん(お母さん)のために」と一途に頑張ります。幼い頃ほどそうです。親もまた我が子が何かに夢中で取り組んでいたり、努力したり、頑張っている姿を見るのが好きですし、安心します。子心、親心…誰にでも経験があります。

 

私の娘たちが長い期間同じスポーツを続けてきたので分かります。良い時もあれば不調の時もありました。夢中で取り組んでいた時もあれば、心が離れていると感じる時もありました。そして、リンクサイドで様々な親子の関わり方も見てきました。

 

先のTVでコメントされたように、真にその子が「好き」と思っていたらいいなと思います。好きだから「自分のために」行って(続けて)ほしいなと願います。そして親御様には、我が子がどのような心持ちや状態の時も、心穏やかに、ただ一緒に歩いてほしい、ありのままの我が子を受け止め愛してほしいと心から願っています。

 

坂戸幼稚園 浅見美智子

園長だより7月「幼児教育無償化に関するある危機感」「幼児期からのスポーツ特化による危険性」

 

今月号はさっかーせんせい(実は理事長です)がお伝えしてまいります。なので「理事長だより」になりますね。よろしくお願いいたします。

幼児教育無償化に関するある危機感

正子ども・子育て支援法が今年5月の国会で成立し、今年10月から幼児教育・保育の無償化(以下 無償化)を実施することとなりました。消費税10%引き上げによる増収分がその財源になりますので、リーマンショック級の出来事が無い限り消費税増税は実施される見込みです。ですから、直前で大きな経済的事由によりひっくり返ることがあるかもしれないと、地方行政も慎重にならざるを得ず、保護者様への説明も遅れているのが実情です。

 

今回は、この無償化でのある議論について保護者皆様と共有したいと思います。それは、無償化による「小学校教育の前倒し」になるのではという危機感についてです。

 

参議院内閣委員会で「義務教育、小学校1年生を1年前倒しにしたら、少子化に対策に寄与するのではないか」「3歳児から5歳児が無償化されるのであれば、幼児教育・保育の義務教育化という議論があってもいいのではないか」と複数の議員から発言、意見があったとのことです。この「1年前倒し」「義務教育化」に大変な危機感を覚えます。

 

国民の貴重な税金による無償化ですから、幼児教育・保育の質の向上が求められるのは当然のことと思いますし、私どももそれに応えなくてはならないと考えます。そして、質の高い幼児教育は知的な能力に加え、協働性や他者への思いやり、自己調整能力などの非認知的能力の育成に大きな効果をもたらすと多くの研究からも明らかになっており、それはひいては生涯にわたる心身の健康な生活のためにも多大な役割を果たします。だからといって、質の高い幼児教育とは「小学校教育の前倒し」では決してありません。

 

長が常々お伝えしている通り、この時期の子どもは「遊びを中心とした生活、活動」から育ち、「遊びを通して自分を発揮しながら主体的に学びに向かえるようにする」ことが何よりも大切です。このことは、幼稚園、保育園にお勤めの方はもちろんのこと、幼稚園や保育園にお子様を通わせている、通わせたことのある保護者様、昨今では小学校教員、小学校関係者にも認識が深まり、理解も広がっています。にもかかわらず、前出議員の幼児教育への理解もない発言があり、「小学校教育の前倒し」可能性の危機感を募らせてしまうのです。

 

このように、理解が十分に行き届いていない人たちへの、私ども幼児教育者や保育者の「質の高い幼児教育とは」の啓蒙、普及に引き続き努めていくことが、この無償化を有意義に活かせていけるものと考えます。ある新聞記事に『これまで以上に各園が情報発信を強化し「子どもたちの育ちのプロセス」を伝えること』とありました。坂戸幼稚園としても園長の持論である「子どもはプロセス(過程)で育つ」ことを発信し続けてまいります。同紙ではまた『ドキュメンテーションの作成・活用が大切』ともあり、坂戸幼稚園の“あゆみ”はまさに園児一人ひとりのドキュメンテーションになります。ご家庭とその子どもの育ちの共有を続けてまいります。

 

こののびのびつうしんがお手元に届いた後すぐに、無償化についての詳細をおたよりできるものと思います。保護者皆様におかれましてはもうしばらくお待ち下さい。※6月17日 日本教育新聞

幼児期からのスポーツ特化による危険性

FA(公益財団法人日本サッカー協会 以下JFA)では、普及事業としてキッズプロジェクを立ち上げ、その柱のひとつにキッズリーダーの養成事業があります。私もこのキッズリーダー養成のインストラクターとして携わり、今年で16年目を迎えました。

 

JFAの事業ですので、キッズ世代の子どもたちのサッカーを上手にする指導法を学ぶものと考えられがちですが、キッズリーダーは子どもたちが体を動かすことの爽快感を感じたり、運動やスポーツの楽しさ、すばらしさを伝えていく大人すなわちキッズリーダーを養成する事業です。そしてキッズリーダーによって運動やスポーツを好きになった子どもたちが、ひいてはサッカーも好きになってくれればという普及事業なのです。

 

私も16年前にこのJFAのこの考えや方針に共鳴しインストラクターになったのですが、近頃のJFAときたらキッズ世代にまでも育成すなわちサッカーだけでの競技志向を持ち込んできて、少しうんざりしているところではあります。

 

そうした中、私はキッズ委員会にキッズ世代のシーズンスポーツ(季節ごとに違うスポーツに取り組む)を取り入れたらどうか、複数のスポーツや運動を行う(ひとつのスポーツだけでなく様々なスポーツに触れる)機会を増やしてはどうかと提言してまいりました。前述のように競技志向を高めているJFAなのであまりいい顔はしませんが、昨今この考え方を後押ししてくれるような記事やニュースが増えてきてとても嬉しく思っています。

 

ず幼児や小学生期からのあるスポーツの専門性を高めることは健康障害を引き起こす可能性が増加するとのことです。野球ソフトバンクホークスの工藤監督は「小さい内から野球だけをし続けてきた子には肘を痛めている子が多い」と言います。私は野球が苦手ですが、野球で肘を痛めていることって致命的ですよね。だから野球のドラフトでは「サボっている選手を獲れ」という言葉もあるほどだそうです。

 

多くの保護者様には、テニスの錦織圭選手、スケートの羽生結弦選手や野球の松井秀喜選手のように小さい頃からそのスポーツに特化してきたからこそ現在の超一流のアスリートとしての姿があるのではと思われる方もいらっしゃると思いますが、錦織選手は小さい頃はサッカーにも打ち込んでいたそうですし、松井選手は野球と柔道を並行して行っていたそうです。羽生選手はけん玉の腕前は相当らしいとのこと。けん玉はスポーツとはちょっと違いますが、でも体の使い方(リズムをとる、動体視力など)スケートに相通じるものはありそうです。100m走の世界記録保持者のウサイン・ボルト選手も小さい頃はサッカーに励んでいて、走ることを引退後はプロのサッカー選手を目指したというニュースを知っている方も多いと思います。

 

そして、様々なスポーツに触れることはその子の選択肢を増やし、将来的にコンペティションの世界に進んだとしても、他の競技で身に付けた体の動きは良い影響を及ぼします。また、スポーツや運動に親しむ方向だとしても、経験してきた色々なスポーツを楽しめるという幅が広がり、生涯スポーツとして健康で豊かな生活に繋がります。一方、そのスポーツだけを取り組んできた子に見られるものとして、バーンアウト(燃え尽き)してしまう傾向が高いそうです。

 

後に、その子の動機付けも様々だということです。もちろんそのスポーツや競技を上手になりたいからと取り組む子もいれば、友だちが行っているから、体を動かすことが好きだから、例えば喘息を治すため(羽生選手がそうでした)、あるいは教えてくれるコーチが好きだからなんていうのもあるかもしれません。要は誰のモチベーションでそのスポーツに取り組んでいるのかということです。それが大人の期待に応えるものになっていませんかと問いたいのです。「えー、さっかーせんせい、幼児の時に子どもがそれを考えるのは難しいんじゃないですか」との声が聞こえてきそうです。そう、だからこそ沢山の種類の運動やスポーツを身近にしてあげて、子どもが少し大きくなった時に「自分はこれが好き」と選択ができるようにしてあげることが大切ではないかと思います。たとえそれが親の望んでいた種目とは違っても、もしかしたら「やっぱりこっちの方が好き」と方向転換したとしても、スポーツではなく例えばアート系に目が向いてしまったとしても、自分で選択したものですから大切にしてくれると思いますし、「好きこそものの上手なれ」とも言いますものね。

坂戸幼稚園 浅見 斉(さっかーせんせい)

※JFAではキッズ世代をU-6(アンダー6歳)、U-8(アンダー8歳)、U-10(アンダー10歳)の子どもたちとしています。

※のびのびつうしん7月号を若干改稿しました。

 

 

園長だより6月「春から夏へ」「読み聞かせについて」

 

ごめんなさい、ちょっと公開が遅くなってしまいました。6月1日に園児が持ち帰りました「のびのびつうしん6月号」の園長だよりです。

春から夏へ

香る5月の風が初夏の気配を運んできます。平常保育に移行して約一ヶ月が経ち、新入園の子どもたちも在園組の子どもたちも、それぞれ自分のリズムで今の生活に慣れてきているのを感じます。

 

子どもたちの心情の変化は、日常の些細な場面によく現れてきます。毎朝の「おはようございまーす」の挨拶がより大きく力強い声になったこと。園庭や廊下ですれ違う担任以外の先生に話し掛けたり、おどけてみたり、困った事を伝えられるようになったこと。そして何よりも自分でやりたい遊びを見つけて飛び出していけるようになったこと。

 

「私、ブランコしたい」「先生、縄とび回して」「一緒にドッヂボールしようよ」と友だちや保育者に伝え合う姿。“今、自分がしたいこと”が沢山あるって素敵ですね。“一緒に遊びたい人”が側に居てくれるって幸せですね。まだ少しドキドキしてしまって、自分からは「入れて」と言葉にできないこともあるけれど、友だちや先生に「〇〇ちゃんも一緒にやろう!」と誘われるのを待っていることを視線や面差しに感じます。

 

入園児はもちろんですが、園生活に慣れている年中長児も、この時期、自分のしたい遊びを通じて“まだ一緒に遊んだことのない友だち”にまなざしを向け、相手を知ろうとしたり、自分にはない行動の仕方に関心を寄せ刺激を受けたり、少しずつ少しずつ新しい人間関係を築いてゆきます。保育者は子どもたちをつなぐ“のり”接着剤です。

 

大人であっても、知っている場所、慣れた環境、気のおける知人と過ごすのは安心しますよね。子どもたちは更に毎年この安心感を基軸にしながら、次の生活へ、新しい友だち関係へと飛び込んでいくのです。実はとってもすごいこと!そしてとても大切なことです。新しい人との出会いは、新しい自分との出会いでもあります。

 

そうした人との関わりは、始めからはそう上手くはいかないものです。また逆に、気心が知れているからこそ一方的な強い言動になることもあります。子どもたちは、自分の思いや欲求を伝え合う中で、様々な形でのトラブルや衝突を経験します。

 

「これ、私が使ってたのっ!」「私だって使いたいのっ!」「ブランコかわってくれないの」といった欲求に端を発するもの。「Aちゃんに入れてって言ったら、今日はBちゃんと遊ぶからダメだって言われたの」「さっき色オニして、次はサッカーしようって決めたのにC君はやってくれない。ズルイ」といった友だち関係や物事の善悪、約束の遂行等、年齢が大きくなるにつれて複雑にも多様にもなります。

 

うしたトラブルや衝突は、保護者様にはご心配の種かもしれませんね。けれど、少し見方を変えてみると、それはお子様が紛れもなく友だちとの関わりを深めている何よりの証。悲しかったり、不本意に感じたりする出来事やその時の思いは、成長のための大切な栄養のひとつです。

 

向かう先には「相手への思いやり」があります。どのトラブルも衝突も相手の気持ち、心(思い、考え、悲しさ、戸惑い、やさしさ、大切さ)に気づけた時、「いいよ」と譲ったり、「ごめんね」と謝ったり、「こんな風にすれば…」と折り合いをつけたりしながら、「共にあろう」とする気持ちを強くしていき、自ら解決できるようになっていきます。その時、保育者は“ナビゲーター”もしくは“アシスト”役になり、子どもたちを導きます。

読み聞かせについて

宅の狭い一室の両壁一面に本棚があります。片側には絵本、もう片側には主人と私の本が並んでいます。その本棚に一葉の写真が飾ってあります。居間のソファに主人を真中にして長女と次女が座り、本を読んでもらっている時の写真です。

 

4歳の長女は昨日の続きで「龍の子太郎」を読んでもらっており、その表情から緊張する場面だったことがうかがわれます。2歳の次女は、次にお父さんに読んでもらおうと準備している絵本を膝に乗せ、こっそりのつもりで写真を撮っている私に、にこやかにピースサインを送っています。

 

私の大好きな写真です。見る度に慌ただしかった当時の日常や就寝前の穏やかなひと時を思い出します。また、2歳と4歳という年齢だけに興味や理解の違いがあったからかもしれませんが、それぞれが一冊ずつの「私の本」を「私のために」読んでもらう時間を楽しみにしていたことを感じます。

 

絵本は、主人が読むこともあり、私が読むこともありました。毎晩娘たちは本棚から一冊の本を選びます。当時も仕事柄、沢山の絵本がありましたが、娘はよく同じ絵本を選びました。内心「またぁ」という思いもありましたが、好きな本なのですから仕方がありません。それを父と母の声音で読んでもらうのです。

 

時はあまり深く考えたことがありませんでしたが、その後「異なる読み手による違い」について考えるようになりました。園で先生方が子どもたちに読み聞かせをしている場面を見ることがあります。その時にも「私とは違う読み方」に気付き、「なるほど」と思うことがあります。それは経験やスキルの差ということではなく、言葉は生き物であることを教えてくれます。

 

同じ物語、文脈、セリフであっても、読み手によって強調する箇所や臨場感の持たせ方、間の取り方やページをめくる速度等が異なり、同じ絵本に様々な角度や奥行きを作ってゆきます。

 

一説では、聞き手の解釈の妨げにならぬよう、不要な強調やセリフごとに声を変えることをせず、淡々と読む方がよいとあります。私自身は、子どもたちに絵本を読み続ける中で、私は私の読み方で読んであげたいと思っています。

 

時への後悔もあります。娘たちはそれぞれ4歳の誕生日を迎える頃に文字への興味が増し、最初は自分や友だちの名前、そしてひと月も経たぬ内に五十音を読めるようになりました。まさに“その時を迎えた”という感じでした。それから娘たちは自分でもよく本を開き声を出し読んでいました。ですので、時折あまりにも忙しくしていたりすると、私は娘に「自分で読めるでしょ」と言ってしまったのです。

 

今は分かります。読み聞かせてもらうのと、たどたどしく文字を拾って読むのとでは全然違います。それは音の連なりです。物語に没頭するにはこれが必要です。戸山滋比古氏は著書「乱読のセレンディピティ」で次のように記しています。「ことばはひとつひとつの残響、残像をもっていて、次のことばと結びつく。(中略)ひとつひとつ独立していることばをある速度で読むと、前の語の残像がはたらいて、つぎの語との間にある空白を埋め、つながり流れを生じる」

 

お父さん、お母さん、それぞれの声と読み方で、お子様に本を読んであげて下さいね。子どもたちと同じくらい親にとってもかけがえのない時間と恵を生み出してくれるはずです。

園長 浅見 美智子

園長だより5月

 

令和元年の春に寄せて

休の中頃に園に立ち寄ると、通用門を開けた途端に、鮮やかな桃色の絨毯が目に飛び込んできました。ブランコ横の八重桜です。「ああ…、落ちてしまったのね」例年は連休の中日に登園があり、子どもたちは拾い集めた花を花束にして、「ママのおみやげ」と嬉しそうに伝えてくれたり、制帽に飾ったりして楽しみます。見せてあげたかったなぁ…この桃色の見事な絨毯を。

 

八重桜はソメイヨシノとは異なり、花はすぐにドライフラワーのように乾燥してしまいます。子どもたちが来るまでもってくれるかな。風に飛ばされませんように。せめてお砂のご飯に盛大にかけて「ふりかけごっこ」を楽しめますようにと、そこで遊ぶ子どもたちの姿を想像してしまいました。

 

さて、改元を含む大型の連休を皆様どのようにお過ごしになられましたか。お出掛けや旅行、ご実家への帰省やバーベキュー等、ご家族の方と楽しいひと時を持たれたことでしょうね。毎年、連休明けに「先生、あのね、あのね」と堰を切ったように話してくれるお土産話を聞くのが楽しみです。

 

は…TVに釘付けでした(笑)。天皇陛下の退位、即位に伴う国事行為の様子や日本の歴史と文化にまつわる報道を興味深く見ていました。個人には様々な思想があるのは当然ながら、時折ニュース番組に切り替わった時に映し出される他国のテロの様子を見るにつけ、こうして沢山の人々が改元を寿ぎ、現在と未来への感謝と希望を胸に抱きながら、同じ時間を過ごすことができる日本の幸せを思います。子どもたちが中心となって生きる令和の時代が、どうか今に続く幸せな時代となりますようにと強く願います。

 

5月1日の朝日新聞に「令和」の出典となった万葉集巻五にある山上憶良の詠について書いてありました。「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」意味としては「言葉にゆたかな力が宿る国」とのことです。

 

私は仕事柄、こうして文章を書いたり、人前で話すことが多く、また読書の中でもこの「言霊」についてよく感じ考えます。心の中にある形の無い「思い」を相手に届けていく行為の中で、どの言葉を選び、どのように文章にすれば、より「思い」に近い形で相手に伝えられるのでしょう。もしかすると、そう相手を思いながら「言葉」を選び「文章」にする行為の中に「言霊」は生まれてくるのかもしれません。

 

回の上皇陛下の「おことば」を私は落涙しつつ、生涯忘れないものとして胸に刻みました。けれども私は「おことば」を聞きながら、「言霊(心)」を言葉そのものだけでなく、口調や所作、まなざしに感じ、側で聞き入る上皇后様はじめ周囲の方々に感じました。

 

外山滋比古氏は著書※1の中で、「『人間のことば』人間のことばはもともとは読んだり書いたりするものではなかったのである。まずしゃべることから始まる」とし、「文字を読む目の知性のほかに耳と口で話し聴く知性」の大切さを書いています。

 

内田樹氏は「たくみな『言葉づかい』になるためには、子どものときからそのような『力のある言葉』を浴び続けることだけが重要なのである。その経験を通じて、はじめて「諧調」とは、「書き」とは、「論理性」とは、「抒情」とは何かという事が実感として分かるようになる」※2と記しています。

 

日本語はとても美しい言葉です。身近にいる大人たちが、意識して「聞かせて」あげること、思いを「届けて」あげることの大切さを令和元年の春に思いました。

 

も体も目一杯使いながら駆け抜けてきた4月を終えて、本日より平常の保育が始まりました。それぞれの子どもたちが積み重ねてきた時間の中で、確かな「自分の居場所」を作り始めているのを感じます。

 

特に年少組さんは長い連休明けで、気持ちがご家庭に戻ってしまったように感じられるかもしれませんが、本日からの一歩は決して「はじめの一歩」ではありません。力強く背中を押してあげて下さいね。

 

かなり硬い文章(内容)になってしまい申し訳ありません。本当は「読み聞かせ」について続けたかったのです。また次回に。

園長 浅見 美智子

※1 「乱読のセレンディピティ」 外山滋比古(お茶の水女子大学名誉教授) 扶養社文庫 ※2 「構造主義的日本論こんな日本でよかったね」 内田 樹(神戸女学院大学名誉教授)文春文庫

園長だより 2月

 

今年最初の「のびのびつうしん(毎月在園児が持ち帰る冊子のおたよりです)」からのお届けです。

<平成最後の新年に寄せて>

家族の皆様と迎えられた2019年のお正月と冬休みを楽しくお過ごしになられたことと思います。お寄せいただいたあゆみのお返事や子どもたちからのお話に、沢山の楽しかった出来事を教えていただきました。ありがとうございます。

平成最後のお正月ということで、様々な特番が組まれ、私もチラチラと見ていました。私の入職は昭和の終わりですので、平成は丸々仕事と子育ての歴史に当たります。実感が無い…というのが正直な思いです。特番で見る「あんな事、そんな事」はやはりつい昨日のことのように思えます。しかし、そうした中で、例えばインターネットの普及をはじめとする様々な生活様式の変化とそれに伴う常識や価値観の変化はあまりにも日常の「あたり前」に紛れ、意識することもなくなったように感じます。

しい元号になってからの30年後、世界は、社会はどのようになっているのでしょうか。私たちはそのとき何を思うのでしょうか。こうして何かの折りに、途切れず続き、流れゆく時間の中で、これまでを振り返り未来に思いを馳せるひと時を持つことは、あまりにも高速化している日常には大切なことだろうと思います。

そうした中、思いを強くしているのは「子どもの育ちは変わらない」ということです。もちろん子どもたちは「社会」の中で育ちます。その「社会」の変容が子どもの育ちに影響を与えることは間違いがありません。けれども「子どもの育ち」つまりヒトとして、生物としての発達の過程はどの時代においても変わりません。

だからこそ、時代の流行や風潮にまどわされることなく、子どもたちの未来と真の成長に思いを馳せて「本当に必要なこと」を考え実行しなければなりません。

 私が見て、感じてきた平成30年間の子どもたちの姿が、これからも育ちゆく子どもたちの側にいさせていただく私の指針になってくれています。

 本年も皆様とご一緒に、幸せいっぱいの一年を築いていきたいと願っています。ご支援とご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

 

<一緒に食べるということ>

年12月29日の朝日新聞の天声人語からの抜粋です。金沢市で山本実千代さんが営む「サポートハウス」に寄せて書かれた文章です。

『特別な活動をするわけではない。何はともあれ一緒に食事をする。「おなかがすくとだれでも心がトゲトゲする。食べ終えてフーッと一息吐けばトゲトゲがとれる。小さい子でもそう。食べ盛りはもっとそう。大人だってそう。」資金も人手もないハウスが十数年続いてきたのは、この明快な「食」の哲学のたまものだろう。食べることはあらゆる生の出発点。同じ食卓に着いて一緒に箸を動かせば、心は少しずつほぐれていく。』

の文章にいつも以上に心を動かされたのにはたぶん理由があります。就職を機に3年前から自宅を出ている長女と、年末年始の件でちょっとしたいざこざがあり、約一ヶ月程心を悩ませていました。

いざこざ…そうした時に直接会ったり、電話を掛けたりするのは勇気がいるものです。どう思われるかな?以上に心に引っかかるのは(相手にとって)迷惑ではないかな?ということです。けれど、そうした時こそ「直に」がどれほどの意味を持つかを考えていました。

現代にはとても便利なツールが沢山あり、私もそのひとつである「ライン」で娘とのやりとりをしています。最小限の短い「言葉」でのやりとり…用件は伝わるけれど心の内は?

両親共働き、時間に追われバタバタと過ごしてきた日々の中で何をしてきただろう?と振り返る時、唯一「みんなで一緒に夕飯を食べてきた」と言えると思います。

色々な出来事、様々な心情をそれぞれの家族が抱えつつ、同じ食卓で一緒にご飯を食べてきました。ひとりでいたい時、誰とも話したくない時、外の世界で傷ついた時etc.…本当に様々な状況があった中で、同じ食卓で一緒にご飯を食べてきました。

長女とのいざこざが長引いてしまったのもまた、一緒にご飯を食べられない状況にあったからと感じています。

怒っていても、苛立っていても、落ち込んでいても、悲しみにとらわれていても、言葉を交わさずともそこに「一緒にご飯を食べてくれる人」がいる。そうした時間がある。どんな心もちの時も顔を合わせ、空間を共有し、次(未来)に繋げていく。そのことの意味、大切さ、大きさを感じています。

園長 浅見 美智子