理事長だより2月

 / 園長だより 

3学期もどうぞよろしくお願いいたします

今年の冬は暖冬と言われていますが、それでも朝起きると気がき締まるような空気が身を包みます。そのような1月の園庭で陰陽を巧みに見分けながら羽根つきや竹馬等のお正月遊びを繰り広げ、凧あげやおもちつきという季節感あふれる行事を楽しみながら過ごしてきました。このような3学期を迎えて早1ヶ月、大変遅い年頭のご挨拶になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

子どもたちにも保育者にもとても短く感じられる期末ですが、それは入園と進級から10ヶ月が経ち、子どもたちもその分「心」「体」「知」を大いに伸ばし、打てば響くと言っては大袈裟ですが、保育者の伝えたいこと、理解してほしいことをすぐさま吸収し自分の行動に反映させるレスポンスが短くなり、楽しさを感じる強度も高く、広くなっていることと無関係ではなさそうです。

 

その分、信頼し合える仲間とゆったりとした雰囲気の中で生活し、自分の好きなことや興味のある事柄にじっくりと取り組んでいける学期でもあります。友だちとの関わりを深め、刺激を受け合いながら進学や進級に向けての期待感とともにひとりひとりが新しい目標を持ち過ごしていけるよう応援してまいります。

 

さて、3学期始業式の日、この半日保育日の午後は毎年西入間地区私立幼稚園協会の教職員保育実践研究協議会という研修会に先生方が参加します。私は運営方なので、その準備があるため幼稚園を早く出なければならず、そのため朝からジャケットにネクタイ、帽子もハンチング帽をかぶって出勤しました。すると年中組のYちゃんがスキップで寄ってきて「さっかーせんせい、名探偵みたい!」と言ったなり駆け去っていきました。なるほど、確かにそう言われてみれば今日の服装は探偵みたいだな、けれども「名」ではないかなと少し照れながらその子の感性に感心してしまいました。

 

絵本の部屋の由里子先生からは3学期始まって間もない頃の子どもとのエピソードを聞きました。絵本の部屋で子どもと談笑していると、ある年中組の女の子が突然「先生はずっと絵本の部屋の先生でいるの?私が年長組になったらいなくなっちゃわない?」と悲し気に尋ねたそうです。聞けば前任の先生が退職されしばらく絵本の部屋がオープンしなかったことが原因であるらしいのです。子どもながらに絵本の部屋を楽しみにし、由里子先生に睦ましさを感じ始めているこの子の、これは感“受”性に胸が打たれました。

 

子どもたちはたった「数年の記憶」の中で生きています。我々大人からすると圧倒的に少ないその記憶を総動員して自分の口から言葉を紡ぎだします。だからこそその言葉の紡績は私たち大人の心を打ち、記憶に留めさせ、その言葉の出処である感性、発想、意外性に驚くのです。子どもたちが経るこの「数年の記憶」は、とても濃く、厚みのあるものなのかもしれません。豊かな記憶を子どもたちに届けるためにも、私たち大人の在り方、接し方が問われているようでならない3学期初月です。

世代間連鎖

ある新聞記事で、米国で始まった「親子相互交流療法(PCIT)」と呼ばれる心理療法を導入している医師のお話が書かれていました。言うことを聞かないなど行動に問題を抱える子どもとの関係づくりや、虐待を繰り返す親の再発防止に効果があると書かれています。そして、これは親子二人での遊びを通じたプログラムで、その遊びの中で子どもに遊びの主導権を握らせ、自尊心を高めるのが狙いで、親子間の肯定的な感情を増やし絆を強めた後、子どもの問題行動を減らすため親は適切な指示の出し方を学ぶものだそうです。

 

どうして親だけでなく親子でのプログラムなのかと言うと、近年の虐待件数の増加の要因として、虐待を受けた親が子を虐待する世代間連鎖が起きているとの指摘もあるからだそうです。

 

ところで、2月に坂戸幼稚園では「園内子育てセミナー」を開催します。外部から講師の先生をお呼びしてお話してもらうのですが、今回開催するに当たり在園保護者様(PT役員様)にどのようなテーマでお話をしてもらいたいかアンケートを取りました。そうしたところ、「叱る」「叱り方」にまつわるお話をしてもらいたいという答えがとても多かったので少しびっくりしています。

 

お子さんが言うことを聞かない、何回言っても繰り返し、「もぉ!」というお悩みがひしひしと伝わってきて胸が痛みました。「叱る」ことについて聞いてみたいという願いに共感もしました。私は叱ってもいいと思っています。理由を添えて・・・なんて時と場合によっては思っていません。会津の「什の掟」ではないですけれども「ならぬものはならぬ」とたしなめたり叱ったりすることもあるでしょう。

 

ただ、それが何のため、誰のためかを叱る時に一度息をのみ込んで言葉にすることは大切だと思います。お子さんの成長のためなのかそれとも親の欲求を満たすためなのか、周囲の方に迷惑がかかるからなのかそれとも親が周りの目を気にするからなのか、等です。子どもたちは大人、先生や親の言うことを見透かす能力を持っています。

 

子どもだからと言ってあなどってはいけませんよ。そうして見透かした子どもは、見透かしたように育つのですね。そして見透かした子が親となり、また見透かされていく。まさに世代間連鎖です。

 

でも、連鎖ですから断ち切ることだって可能なはずです。「これが絶対」という有効な手立てというものはないのでしょうが、私なりに考えますとやはり「褒めて」「認めて」あげるということに行きつきます。ちょっとした瞬間の可愛さを言葉にしてささやいてあげる、何気なく上手に出来たことを耳元で認めてあげる、ほんの少しのお手伝いに「助かったわぁ」とお子さんの顔を見て笑顔で答えてあげる、こうした子どもへのまなざしという親の想いを鎖に打ち込み亀裂をきたさせていくこと以外に思いつきません。そして、そうした些細なことを見つけられるのは親でなければできません。

 

一朝一夕には子どもは育ちません。少しずつの繰り返しなのではないでしょうか。硬い鎖も一息には切れません。鋸を引いては一息つき、また引いていくものなのです。

 

このおたより、あいだみつをさんのこの言葉が頭の中を行ったり来たりしながら書いていました。「育てたように子は育つ」

理事長 浅見 斉

※SKPレターをのびのびつうしん用に改稿しました。