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SKPレターから「節分、豆まき 」
/ さっかーせんせい日記
子どもたちに「怖い」でしつけたり指導しようとするのは、幼児教育の世界では「脅しの保育」として遠ざけられています。「脅しの保育」とは、例えば給食を食べ残してしまっている子に対して「もお、そんなに食べたくないんだったら食べなくていい!そのかわり大きくなれないんだからねっ」と、「食べなくていい」「大きくなれない」というダブルバインド(二重縛り)がよい例です。
小さな子どもたちにとりまして大きくなれないことは大問題です。ですから泣く泣く頑張ってすべて食べようとします。残さず食べるという目的はそれで達成されますが、こうしたダブルバインドで子どもたちを動かそうとする先生は「どうだっ」とばかりに鼻息を荒くするのでしょうけれども、果たして本当にそれでいいの?子どもたちに育てたい本質は何なの?と言いたくなります。あれれ、耳が痛いと言ってるお母様の声がちょっと聞こえてきますよ。
けれどもこの恐怖体験で子どもたちの行動を戒めようとするもの、思い当たるのが東北地方に伝統的民俗行事として伝わる「なまはげ」なのではないでしょうか。
皆さんもご存知の通り「なまはげ」は秋田県男鹿半島に伝わる民俗文化で、鬼※の面をかぶってなまはげに扮した村人が家々を訪れ「泣く子(ご)はいねがー」「悪い子(ご)は居ねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者や子どもを探して暴れるという小さな子どもにしてみればそりゃあ身が縮むほどの怖さです。親はそのなまはげによる強い恐怖体験を記憶させ、そのあと幼児に対し望ましくないとみなされる行為を行った場合、その恐怖体験が再現される可能性を言語的手段によって理解させる、いわばその昔の幼児教育の手段のひとつだったのですね。
そこで坂戸幼稚園の節分です。先日も子どもたちが幼稚園に来た鬼に向けて盛大に豆をまきました。豆をまく前には先生から「自分の悪いところに豆を当て、それを鬼に向かって『鬼は外』と言いながら投げつけて悪いところと鬼を退治するのよ」という話があり、鬼の登場となるわけですが、坂戸幼稚園に来る鬼もなまはげよろしく少々怖い鬼です。チャラい鬼では子どもたちの自分の悪いところを退治するという側面が失せてしまいそうだからです。これは決して「脅しのへ保育」とは違うのはご理解いただけるものと思います。
もちろん「鬼のいる幼稚園にはもう行かな~い」という泣き声も少しありますが、そこは「みんながお豆で鬼と自分の悪いところをやっつけたから大丈夫。もう鬼は来ないよ」と先生がやさしさを湛えた瞳で話しかけ一件落着、ほっとした笑顔が戻ります。でもどこか「もし自分が~したら、もしかしたら鬼が・・・」という怖い鬼の登場をあえてしているこちらの意図どおりという表情がうかがえて可愛くなります。ちょっと悪趣味ですかね。
節分の鬼やなまはげは、子どもたちにとりましてそれはそれは強烈な記憶になることでしょう。悪さをすると「こらっ」と叱ってくれる近所の「怖~い」おじちゃんやおばちゃんがいなくなってきた地域社会ではなまはげの出現を願っている親御様もいらっしゃるかもしれませんが、ご家庭でお母様やお父様は決してなまはげにはならないで下さいね。パパ、ママはなまはげからボクを、ワタシを守ってくれる存在なのですから。
byさっかーせんせい
※なまはげには角があるため鬼とされたが、本来は鬼とは無縁の来訪神だったそうですよ。(Wikipediaより)