遺伝子と子育て【SKPレターから】

 / さっかーせんせい日記 

育ては無意味、多くは遺伝子で決まる。と言われて腹を立てない親はいないと思います。「遺伝子で決まるだと!?身体の大きさや運動や芸術の才能はそういう要素が多分にあるかもしれないけれど、“こころ”はどうなの?それこそ生まれてから育てられてきた育ちの姿、子育ての結果ではないの?」と疑問を投げかけられる親御さんが多数だと思います。

 

ある本にこう書かれていて私もびっくりしました。子どもは真っ白な状態で生を受け、その後の育てられ方で徐々に“こころ”と言われる部分を形成していくものだと確信していましたから。そうでなければ、人としての礎を築くために幼児教育を一生懸命に頑張っている全国の幼稚園の存在意義って何?ってことにもなりかねませんし、それどころか、親は何のためにいるの?と究極の「?」にぶつかってしまいます。

 

まれてすぐに別々の家庭に里子に出された双子(一卵性双生児)の兄弟が、39年後の再会まで一度もコンタクトを取っていないにもかかわらず、乗っている車の車種、着ていた服、掛けていためがねのフレームも、妻の名前、子どもの名前、はては犬の名前までもが同じであった。そうした例が大量にあることを知った行動遺伝学の研究者が研究を進めた結果、性格、心や社会的態度に家庭が与える影響は皆無(!)で、家庭環境が子どもに影響を与えるのは、言語と宗教観だけであるとまで言っています。そして、科学の世界では既知の事実であるといいます。さらにびっくり!

 

ただ、「多くは遺伝子で決まる」といっているので、そうではない部分もあると述べています。かいつまんで申しますと、「そうではない部分」というのは「友だち関係」で、思春期を迎えるまでは「友だちの世界」が子どもにとってのすべて、「子どもが親に似ているのは遺伝によるもので、子育てによって子どもに影響を及ぼすことはできない」そして子育ての重要さを説く者は「親が(自分の努力は報われるという)子育て神話を求めているからである」と言い切っています。

 

だち関係、これこそが子どものパーソナリティが作られる土台。子ども、特にヒトの子どもは自立までに相当の期間を要し、だからこそ遺伝子の中に群れや集団から排除されては生きていく術がないという情報が古来から組み込まれているのだとしたら、子どもが“私”という自分を築くのは、友だちとの間でどのような自分でいなければならないのかという要素が大きいのは頷けます。加えてこの著書では、研究者の言葉として、親がもうひとつ子に対して影響を与えられるのは、どのような友だちを与えていけるかということだそうです。

かに、子どもにとって友だちの存在がとても大きいのは、幼稚園での園児同士の生活を見ているとよく分かります。だからと言って、自分の子に良い(と思われる)友だちばかりを言葉は悪いですが「備えて」あげること、よくテレビドラマなどで見受けますが、犯罪者の子だから遊んではいけませんと遠ざけてしまうことが果たしてその子の育ちに良い影響を与えるでしょうか。私の答えは「NO」です。

 

友だち関係がその子を作るのであれば、どのような友だちとも同じように接していける、関係が悪くなった時にはそれを正して(直して)いける、新しい友だちの幅を互いに広げていける、喜びや悲しみを共有できる、そうした友だち関係をその子自身のために作ってあげたいと思います。たとえ神話だとしても私の遺伝子にはそう組み込まれています。

byさっかーせんせい

※「言ってはいけない ~残酷すぎる真実~」 橘 玲著 新潮新書 少々雑学めいた本ではありますが、多くのエビデンスを基に書かれていて、“真実”かもしれません。